人気絶頂当時の「本当のギャラ」
そのルックスと歌声から、野猿では1番人気を誇っていた神波さん。だが、突然、芸能人のように扱われたことで戸惑いもあったという。
「あのときは、本当にいろいろなことが一気に押し寄せてきて忙しかったので、当時のことをあまり覚えていないんです。だから『自分は人気者だ!』とかって勘違いをするヒマがなかったです。それに、調子に乗ったことをしてしまったら、とんねるずのおふたりにもご迷惑がかかりますしね。
当時は衣装の仕事でも、番組を8つぐらい掛け持ちしていました。どこの番組に行っても自分がいるから、タレントさんからは『いったい、カンちゃんは何人いるの?』と驚かれたこともありました(笑)。何年もまともな休みがなくて、家に帰れない日も珍しくなかったですね。
それこそフジテレビの楽屋のようなところで寝て、上司に起こされてまた仕事をする、みたいな毎日でした。デビュー曲『Get down』のミュージックビデオ撮影は、クラブの営業が終わった夜中の2時に撮影でしたからね。
CDが売れたので、『儲かったでしょう?』とかってよく言われるんですけど、当時の月収は本当に少なかったんです。番組で貴明さんもおっしゃってましたけど、本当に野猿のギャラは、番組後の焼肉だけでした(笑)」
衣装の仕事の合間に歌とダンスレッスン、そしてテレビ出演と大忙しだったが、それ以上に大変なことがあったとか。
「野猿の活動は、忙しいながらも楽しくやらせていただいていたんですが、本業に支障が出てしまったのは申し訳なかったですね。他のメンバーは仕事柄、スタジオにこもることが多かったですが、僕の場合、外に洋服を探しにいくのが仕事なので…。
お店で服を見ていると、『あ! カンちゃんだ!』と、お客様に騒がれてしまって。竹下通りに衣装を買いに行ったときには、修学旅行生たちに囲まれてしまったこともありました。そのときは『キャーッ!』って叫ばれて追いかけられたので、本能で逃げてしまったんです。
そしたら大勢で追いかけてきて、竹下通りが大パニックに。警察も来て、事情を聞かれてパトカーに乗せられました。すると警官の方が『俺、この人知ってる、野猿じゃん! 何があったの?』と言われて、事情を話したらお台場までパトカーで送ってくれたりもしました(笑)」
その人気から、日常生活に支障をきたしていたのは、他のメンバーも同様だったという。
「メンバーはみんなお酒が好きで、居酒屋に行くことが多かったんですが、お店に入るとファンの方が押し寄せてくるので、サインや握手対応をしていたら、ゆっくり飲むこともできなくなってしまって。なので最終的には宅飲みしかないよねってなって。特にボーカルの平山(晃哉)さんとは家が近かったので、お互いの家で飲むことが多かったですね」
当時、グループ内では「彼女ができたことがない」というキャラを貫き通していた神波さんだが、実は当時、言えなかったことがあるようで…。
「今だから言えますけど…(当時、話していた)彼女がいない歴29年というのは…ウソでした。ただ、学生時代に全くモテなかったというのは本当です。え、なんでウソをついていたかって? やっぱり、アイドルというのは彼氏彼女の存在を隠すものだと教えられていたので(笑)」
後編では闘病中の石橋貴明への思い、そして野猿再結成の可能性について聞く。
取材・文/佐藤ちひろ 写真/産経新聞社