「再履修組を“サイリーズ”などと言ってふざけてはいましたが…」
小さな頃からピアノを習っていたという田久保市長は歌の他にもキーボード、ドラムもこなしていたようだ。
「ガンズ・アンド・ローゼスやジャニス・ジョプリンとかが好きで、コピーバンドをやった時の眞紀ちゃんのシャウトには度肝を抜かれました。3か月に1度くらいは空き教室を使ってライブをしたりしていましたが、彼女が頭ひとつぬけて歌はうまかったですよ。
眞紀ちゃんは革ジャンを着て400ccのアメリカンのバイクに乗っていたのですが、『もっと大きなバイクに乗りたいけど足が届かない』と言っていました。
当時はバブルというのもありましたし、車やバイクを持っている学生はけっこういましたが、それでもかなり尖っていた学生だったと思います」
田久保市長自身も会見で、大学での生活について『自由奔放に生きて不真面目な学生で、いつまで(大学に)通っていたというような通学状況ではなかった』と話している。
とはいえ、A氏によるとまったく学校に来てなかったわけではないようだ。
「東洋大学は単位が取れなくても4年生まではエスカレーター式にあがっていきます。なので卒業に必要な必修科目の単位のみ再履修してとればいいわけですが、私も眞紀ちゃんも再履修組でした。
再履修組を“サイリーズ”などと言ってふざけてはいましたが、眞紀ちゃんも卒業をしようとしていました。それこそ私たちが就職活動をしていた頃に学校で会うと眞紀ちゃんは『今レポート出してきた。これからスタジオなんだ』『これからバイトなんだ』と言っていたのを覚えていますから」
革ジャンを着て、ヘルメットを片手に再履修のため大学に通っていた田久保市長はバイク便のバイトをしながら、音楽活動に没頭し就職活動をすることはなかったという。
後編では、“疑惑の発端”となった卒業証書や卒業式当日について、A氏による貴重な証言を詳報する。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班