いつも筋を通す子で「ごまかし」をとても嫌っていました
A氏が田久保眞紀市長と知り合ったのは東洋大学1年生時に行なわれたサークルの新歓コンパ。大学卒業後は会わない時期もあったようだが、今も交友関係は続いているという。田久保市長が置かれた現状についてA氏が語る。
「田久保市長……、昔からの呼び方でもよろしいですか? 眞紀ちゃんに関する報道は見ていますが、毎日叩かれながらも市長を続けているのは強いなって思っています。また、市長として何かやらないといけないことがあるから、議会を解散してでも市長を続けているんだと思います。
たぶん信じてはもらえないでしょうけど、本当に私利私欲で動く人ではないんです。終わったと言われているメガソーラーや図書館の問題が形を変えて進行する可能性や恐れがあるとか、きっと何か事情があるのだと私は思っています」
A氏は田久保市長を「昔から信念のある人だった」と語る。また、人の道に反することを嫌う真っすぐな部分があったようだ。
「眞紀ちゃんは軽音サークルに入りハードロックをやっていたのですが、当時からいつも筋を通す子で、ごまかしをとても嫌っていました。詳細は省きますが、私自身も飲み屋で眞紀ちゃんに『せこいことをするな。せこいことするのはロッカーじゃないよ』って厳しく叱られたことがあります」
大学入学当初たまり場になっていたという田久保市長の住んでいた5.5畳ほどのワンルームマンションでは、こんな出来事もあった。
「眞紀ちゃんの部屋で餃子パーティーをやっていたら、軽音ロックのサークルの先輩が2人遊びにきたことがありました。その2人は酔っていて、1年生の私たちに『お前らサークルを乗っ取るつもりなんだろ』と因縁をつけ始めたんです。
すると眞紀ちゃんが『餃子パーティーやってるだけなんですけど。そんな言われのないことで文句言って雰囲気悪くするなら帰ってくれ』って毅然と言い放ったんです。
私たちはこの日、サークルを抜けて自分たちで新しく別の軽音ロックのサークルを立ち上げたのですが、眞紀ちゃんはサークルの中心人物で、歌もうまく美人で目立っていましたね」