メガソーラー問題と学歴問題は、本来まったく別の話
第三に、メガソーラー問題と学歴問題は、本来まったく別の話である。
田久保市長がメガソーラー反対の活動をしていたことは事実かもしれない。しかし、市長に就任する際の選挙公報や、当選後の所信表明演説では、メガソーラー問題についてほとんど言及していない。
学歴問題で自身の立場が危うくなってから、急にSNSでメガソーラー問題を頻繁に取り上げるようになった。
このタイミングを見ると、多くの人が「批判の矛先をかわすための論点ずらしではないか」と疑うのは当然である。
筆者もメガソーラーの設置には極めて慎重な立場をとっているが、公職者に求められる重要な資質は、政策の中身以前に、誠実さと透明性である。
事実に基づかない極めて危険な物語
第四に、そして最も決定的なことだが、陰謀論には何の証拠もない。
陰謀を主張する人々は、「中国資本」や「韓国利権」といった漠然とした言葉を使い、人々の不安や偏見を煽るだけである。具体的にどの企業が、誰という人物が、いつ、どこで、どのような工作を行ったのか、という証拠は一切示されていない。
市長自身も「全容が見えてきた」と言いながら、その具体的な内容を市民に明らかにしていない。証拠に基づかない非難は、単なるうわさ話や悪口と何ら変わらない。
本当に巨大な陰謀が存在するのであれば、その証拠を公の場に示し、正々堂々と戦うべきである。それができないのであれば、陰謀論は苦しい立場を乗り切るための作り話だと判断されても仕方がない。
結論として、田久保市長を巡る一連の騒動を海外勢力の陰謀と結びつける見方は、事実に基づかない極めて危険な物語である。
問題の根本にあるのは、市長自身の誠実さの欠如と、それによって引き起こされた市民、議会、行政の深刻な信頼関係の崩壊である。
陰謀論は、この問題の本質から人々の目をそらし、冷静な議論を妨げる。私たちは、根拠のないうわさに惑わされることなく、公表されている事実を一つ一つ丁寧に見つめ、何が本当に問題なのかを自分の頭で考える必要がある。
伊東市が今、取り戻さなければならないのは、目に見えない敵との戦いではなく、失われた信頼と市政の正常な機能である。
文/小倉健一