顔や首、背中に複数の切り傷や刺し傷が…
南国の太陽が照りつける那覇市の国際通りはその日も賑わいをみせていた。戦後復興の中心地となったことから、「奇跡の1マイル」の俗称でも知られるこの通りにパトカーのサイレンが鳴り響いたのは8日午後のことだ。
「現場は、大手航空会社系列のシティホテル。国際通りのちょうど真ん中あたりに位置し、国内外の観光客から人気のホテルです。午後4時50分ごろ、『8階の客室で男性が倒れている』などと119番通報があり、駆けつけた県警の捜査員らが血を流して倒れている首藤さんを発見しました。
首藤さんは顔や首、背中に複数の切り傷や刺し傷が確認され、搬送先の病院で死亡が確認されました。強い殺意をもって切りつけられたものとみられます」(地元メディア関係者)
地元メディアの報道によると、県警は首藤さんが倒れていた現場周辺から凶器とみられる刃物を押収。ホテル内にいた首藤さんの息子が犯行をほのめかしたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕したという。(10日、容疑を殺人に切り替えて送検)
亡くなった首藤さんは大分県別府市でイタリアンレストランを経営するオーナーシェフだった。
本人のものとみられるSNSによると、地元の県立高校を卒業後、大分市内の調理師専門学校に進み、その後、料理人としてキャリアを重ねていた。
学生時代から首藤さんを知るという50代の男性は、こう明かす。
「彼は、周囲から『ノリ』と呼ばれて、明るくて友人も多く、周りから親しまれていました。美術の授業が好きで、美術教師のことを恩師と呼んで慕っていた。調理師の専門学校を卒業した後にはオーストラリアに行っていたと聞いています。(料理の)修業だったのかな。国内でも数カ所、広島とか修業で回っていたそう。
こっちへ帰ってきたと思ったら、30代で店を出して、土曜日の朝のニュースにシェフとして出演していた。市内の情報誌にも掲載され、グルメ雑誌にも出ていたから、有名になったんだなって。ここら辺では、大分の川越シェフなんてイジられていたかな」
本人のものとみられるブログでは、「大分で唯一の投げるpizza職人です」などと軽妙なタッチでシェフとしての日常を紹介し、イタリア料理の本場であるイタリア・ミラノなどをたびたび訪れ、料理人としての知見を深めていく様子もつづられていた。
「自分の母校である調理師専門学校でも講師を務めていたから、頑張っているんだな、と同級生の間でも話題だった。老舗のホテルに皇室のかたがいらっしゃる機会があり、その際パスタをお出ししたと周りに誇らしげに語っていたのも覚えている」と前出の男性は振り返る。