第一の告発文書が「除籍」を正確に指摘した謎
田久保市長は記者会見で「30年前ぐらいのことで(卒業証書を)どのように手にしたのか、もう記憶が曖昧でございます」と入手先を説明していない。
同時に、6月28日に東洋大へ行き初めて自分が除籍になっていたことを知ったとの説明を続けている。
市議会の告発でこうした説明の真偽が解明されるかどうかは不透明だが、「除籍」の事実が明るみに出た経緯も今後、火種になる気配がある。
事情を話すのはBさんのようにかつて田久保市長と行動を共にしながら今は愛想をつかし「今後はもう応援はしません」と断言するCさんだ。
「田久保市長が大学を除籍されていたと指摘した第一の怪文書は、原本とみられるものが市内の店のコピー機に残っていたとの情報があります。そのそばに住む市の関係者が作ったのではないかとの噂が飛んでいます」
そう話すCさんがいぶかしむのは第一の告発文書が「除籍」の事実を正確に指摘したからだ。
田久保市長は以前から知人に「まあ、(大学を)卒業してないんですけどね、ハハハ」と軽く告白するなどうわさは以前からあった(♯2)。だが、それが除籍だとの話は出たことはない。
「怪文書を作ったのが仮にいま噂されている人物だとすれば、彼はどうやって市長が除籍されてることを知ったのか、謎ではあります」(Cさん)
水面下でなにが蠢いているのか。もはや伊東市はカオス状態だ。
※「集英社オンライン」では、今回の記事についてのご意見、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(旧Twitter)まで情報をお寄せください。
メールアドレス:
shueisha.online.news@gmail.com
X(旧Twitter)
@shuon_news
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班