雨音に怯える

父の酒量は徐々に増えていった。藤岡が小学校に上がる頃には、昼間から酒浸りで仕事にも行けなくなっていた。母が内職をしながら、鉄工所で働き、さらに、スナックの夜間託児所でも働いていた。昼夜を問わず3つの仕事を掛け持ちし、何とか家計を支えた。

下半身裸で自転車を押しながらフラフラと出歩く父は、近所ではちょっとした有名人だった。酔っ払っては小学校の校長室に怒鳴り込み、「美千代を返せ」と大騒ぎするので、藤岡は不登校になった。

写真はイメージです(PhotoAC)
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そのためだろうか、小学生になってしばらく経っても藤岡は読み書きができなかった。大人の話の内容もよく理解できず、生きている実感が薄かった。いつのまにか、自分の頭の中に作り上げた、想像上の話し相手「みよちゃん」と会話をするようになった。

そのうち、父は幻聴や幻覚がひどくなった。「兵隊の足音が聞こえる」。雨の強い日は部屋の隅で頭を抱え、屋根をたたく雨音に怯えた。「あいつらが来る。ミツルに殺される」と、誰とも知れぬ名前を呼びながらガタガタと震え上がった。

夜中に突然跳び起き、見えない敵と格闘するようになった。実際に投げ飛ばされ、「この野郎」と踏みつけられるのは、兄や藤岡だった。「必死で敵をやっつけて、何とか助かろうとしているような様子やった」と藤岡は振り返る。

写真はイメージです(PhotoAC)
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やがて、父はほとんど起き上がることができなくなり、布団の中で糞尿を垂れ流すようになった。藤岡が9歳の時、母は「きっと迎えに来る」と言い残して、幼い妹だけを連れて家を出て行った。じきに離婚が成立。兄妹は母に引き取られて市営団地で暮らし始めた。

離婚から2カ月ほど経った、1968年の11月末のことだ。父が突然団地を訪れてきた。警戒心を露わにした母は兄妹に「銭湯に行くように」と言いつけたが、父は別れ際に藤岡の頭をなで、「許してごせえ、許してごせえ」と涙を流した。藤岡はただ、酒臭くない父が物珍しく、驚くばかりだった。その2週間後、父は自ら命を絶った。

葬式では、親戚から思いも寄らない話を聞かされた。「戦争に行くまでは、ええ人だったが。火箸の先を絶対に他人に向けんような優しい人だが」「復員してなあ、ヒロポン中毒か何なのか、おかしくなった。えらい人が変わってしまって」。会う人、会う人が、藤岡の知らない父の姿を語った。だが、9歳の藤岡にはうまく理解できなかった。