14年後、満身創痍でも「来てよかった」
それから14年後の1988年、美空ひばりは再び、「広島平和音楽祭」に出演している。
すでに大腿骨頭壊死(えし)と肝臓病で、前の年から入退院を繰り返していた美空ひばりは、「もう再起は絶望的だ」とも伝えられていた。
そうした状況にもかかわらず、その年の4月11日に開かれた東京ドームでの『不死鳥コンサート』を見事に成功させて、完全復活をアピールしたばかりであった。
しかし、東京ドーム公演後を境にして、ひばりの体調はひどく悪化して、一人では歩くことさえ困難な状態になってしまった。
「第15回広島平和音楽祭」の日も、会場となった広島サンプラザの楽屋にはベッドが運び込まれ、本番が始まるまで点滴を打ったまま、ずっと横になっていた。
ところが、ひとたび舞台に上がって観客の前に立った瞬間、美空ひばりは笑顔を絶やさず、『一本の鉛筆』を最後まで見事に歌い切ったのである。そしてステージを降りた直後に、「来てよかった」と微笑んだ。
翌年の6月24日、美空ひばりは52歳の若さで逝去した。
美空ひばりによって生命を与えられた『一本の鉛筆』は、21世紀になってから、浜田真理子や大島花子ほか多くの女性シンガーたちによって歌い継がれて、今ではスタンダード・ソングへと育っている。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考
森啓『美空ひばり 燃えつきるまで』(草思社)
ひばりの愛した反戦歌「一本の鉛筆」、もう一度広島で(朝日新聞/2008年7月)