一様ではない原爆との向き合い方
――継承の新しい形が見えてきたように感じています。一方『13月のカレンダー』では、家族が経験した原爆を見つめようと旅する主人公に対し、その父親が「誰もが忘れようとしていることを掘り起こすんじゃない」と言い放って対立するシーンがありました。つらい過去にあえて触れて書く、語るという営みに、どんな意義があると考えますか。
松浦 被爆者の場合、積極的に体験を語る人は一割もいないだろうというのが私の実感です。ほとんどの人が、自分の子や孫にも語らないで世を去っていく。思い出したくないんですよ、誰だって苦しいこと、辛いことは思い出したくないでしょう。それにもかかわらず人前で被爆体験を語るのは、核兵器をなくしたいという強い思いと使命感があるからです。自分が語ることには意味がある、と考えているんです。
宇佐美 本当にいろんな考え方がありますよね。
松浦 作品の中に、「母さんは怒るべきなんや。母さんも犠牲者やないか」という言葉がありましたよね。あれは非常に嬉しく、印象深く響きましたよ。
宇佐美 隠れるようにして生きていた喜代に対して、その息子の剛が投げかけた言葉ですね。喜代はその後力強く立ち上がっていくのですが、誰もが彼女のようになるわけではない。忘れてもらったほうがいいと思っている人も絶対にいる。それも一つのありようなんですが、主人公は「僕は違う」って、反発するわけですね。正解はないんです。さまざまな受け取り方、生き方があるということを、書いておきたいと思いました。
松浦 小説は、書き始めてからどれくらいかかるんですか。
宇佐美 執筆期間ですか?
松浦 ええ。
宇佐美 数か月ですね。今回は五、六か月だったかな。「小説すばる」で連載しましたけれど、一度最後まで書き上げた原稿を渡して、分割して載せてもらった形で。資料を読み込んで、頭の中で作ってから書くので、書き始めたら速いんですよ。
松浦 見たことのない世界にいろんな人が出てきて、子どもの感情や年寄りの思いがあって、それを一つの作品にするなんて。作家さんの頭の中はどうなっているのか、ぜひお聞きしたい。
宇佐美 たぶん妄想、想像だらけです(笑)。さっき言った新聞の投書みたいなものから、どんどんイメージがふくらんで。
松浦 物語を組み立てていくこと自体が楽しいんですか?
宇佐美 専門書とか手記を読んでいると、物語の筋が浮かんでくるんです。これは面白いエピソードだから入れようとか、この場面でこの人はこう考えるだろうな、とか。読者の心を波立たせたいんですよ。ああ、自分だったらこうするのにな、とか。いろいろ考えてもらえると嬉しいですね。
松浦 これは続編があるんですか。いや、もっと続きを読みたいな、と。最後に「奇跡」が起きるでしょう。はあ、これが「13月」だったのか、と思ったんだけどね。あれが実際どういうことだったのか……。
宇佐美 それを読者に考えてもらえたらいいな、と。
松浦 いやあ、もうちょっと読みたかったなあ。
宇佐美 それを書いちゃうと無粋なんですよね、やっぱり。読み終えた後の残響を楽しんで、あれこれ思いを巡らせてもらえたら。
松浦 あと、お会いしたらぜひ伝えたいと思っていたのが、広島では爆心地から半径2・5キロ以内の外部被ばくの健康影響は認められているけれど、それより遠くに降った「黒い雨」とか放射性降下物による被ばくは十分に認められていないんですね。このことにも目配りして書かれたんだなあ、と。福島第一原発事故のことも触れていたでしょう。
宇佐美 やっぱり放射線ということで関連はありますからね。原発事故の時、私の娘が妊娠中で、千葉県にいたんですよ。すごく心配してね。お水を送ったりしました。
松浦 私は自分でも伊方原発の運転差し止めを求める訴訟の原告にもなっていて、事故後に避難してきた方の支援もしています。やっぱり被害者自身が声を上げなければ、社会は変わりません。加害者に責任を果たしてもらって、二度と繰り返さない。これが大切なんですよね。
連載中に決まったノーベル平和賞
――「妄想」「想像」という言葉が出ました。想像力を働かせることは、平和に向かうための一歩のようにも感じます。
宇佐美 想像力のある人は、思いやりのある人ですよね。戦争に限らず日々の人間関係でも、「こんなこと自分が言われたらどう思うかな、きっと嫌だろうな」って考えることができたら、相手を傷つけるような言葉は出てこないと思うんですよね。でも、それができない人が増えている。
松浦 想像力に欠けているんだよね。
宇佐美 だから以前、農水大臣が「私はコメは買ったことがない」と発言して大きな批判を受けましたけれど、あんなこと言ったら絶対に反感を買いますよね。本当、なんで言うんだろうと思うけど、想像力の欠如なのね。
松浦 私がずっと思っているのはね、日本では日本海側に原発がずらっと並んでいるでしょう。北海道、新潟、石川、福井、島根、佐賀……私からしたら、自国民に向ける原爆みたいなものなんですよ。あそこへミサイルが一発撃ち込まれたら、核兵器が爆発したのと同じ効果を持つわけでしょう。そんなものを並べておいて、中国や北朝鮮と戦争するなんていうのは、本来あり得ない発想なんですよね。想像力というか、論理的に考えたらわかることなんだけど、屁理屈を言って膨大な防衛予算を計上して。すごく腹が立つんですよ。
宇佐美 やっぱり想像力が失われていけば、だんだんと戦争に近づいていくんじゃないかと思いますよね。今の子どもたちは想像する筋肉が落ちている。やっぱり本を読まないかんよって、自分の孫には言うんだけど。私の子どもの頃はビデオもないしゲームもないし、読書が一番の楽しみで。
松浦 もうテレビはありましたか。
宇佐美 ありましたよ、白黒でしたけど。私はもともと怪談畑の人間ですが、怪談って受け手に想像力がないと、全然怖くないんですよ。怪談は語りの文学だから、真っ暗な中で囲炉裏を囲んで、おじいさんの話を聞くのが一番怖いんですよね。話を聞く子どもたちは、すごく想像力を働かせて、怖がっていたと思う。今はゲームや動画があふれていて、想像する機会が失われているように感じます。
松浦 相手の立場とか自分とは違う側に立って考えることが大切ですよね。とにかく戦争はしてほしくない。戦争したら被害は間違いなく市民に及ぶわけでしょう、勝っても負けても。
宇佐美 本当にそうですね。ところで、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が昨年のノーベル平和賞に選ばれましたけれど、生活は変わりましたか。
松浦 全然違いますよね。もう先週だけで四回講演しているので。
宇佐美 先週だけで!
松浦 愛媛大学での講演を聞いてもらったんでしょう? 感想を伺いたいです。
宇佐美 本当にお話が上手でね。もっと重々しいお話が続くのかと思ったら、ユーモアも交えるし、力強いし。もう最後まで飽きずに聞かせていただきました。
松浦 そうでしたか、ありがとうございます。いやあ、あの後は岡山で講演して、その後もまだ話す機会があったんですけど、不謹慎かもしれませんが、自分は楽しみながらやってるなと気付きました。
宇佐美 それがいいんですよ。今日のお話も面白くって、楽しいです。
松浦 楽しくやらないとね! これまでご縁のなかった方々からも呼んでもらえて、今すごく嬉しいですよ。この対談だって、ノーベル平和賞が繫いでくれた一つのご縁でしょう。
宇佐美 そうですね。まさに連載中に受賞が決まって、ひっくり返るくらいびっくりしました。『13月のカレンダー』の刊行も終戦八十年という節目で、なんというご縁だろう、と。運命的なものがありますよね。
松浦 今回の受賞で日本被団協の認知度は高まりましたけど、そうは言っても私たちの訴えはなかなか届きにくい。小説ではありながら被爆者の心情を書いてくださって、これまで被爆者と全然縁がなかった人たちに、この小説をぜひ読んでもらいたいですよ。そして、これからも『14月のカレンダー』、『28月のカレンダー』と、書き続けてもらって。
宇佐美 面白い(笑)。
松浦 若い人たちに読んでもらいたいですね。どうやって広げていこうかな。
宇佐美 この小説が入り口になればいいなと思います。次は語り部さんのお話を聞いてみよう、ノンフィクションを読んでみよう、とか。何か橋渡しができれば嬉しいなと思っています。
松浦 これ、大ヒットしたらいいですね!
「小説すばる」2025年8月号転載