プライドの高かった兄は孤立して、孤独死
幼いころに親の愛情を十分に受けられなかったのは双子の兄も同じだ。大人になってから兄とはたまに会って飲んだりしていた。だが、数年前から電話をしても出なくなり、メールをしても返って来なくなった。
そんなある日、突然、警察から電話があった。兄がアパートの玄関で倒れてノブで頭を打って出血。大量の血が玄関から外の廊下に流れ出て、亡くなっているのが発見されたのだという。まだ61歳だった。
「解剖所見は急性心筋梗塞。だけど、服薬記録を見ると、心臓の薬とうつの薬が1日に37錠処方されてた。医者に殺されたようなものだと思っているよ。死んだ後、部屋に行ったら飲んでない薬が山のようにあった。
兄貴は頭がよくて勉強家で、プライドも高かった。俺と同じように、愛着障害だと想像できるけど、カウンセリングは受けてなかったと思うよ。相談できる人もいなくて、どんどん孤立していって、最後は孤独死した。兄と自分の一番大きな違いは、自分は味方をどんどん増やしていったっちゅうことだろうね」
佐野さんは、30代のころ身を寄せていた共同体での暮らしは続けられなかったが、そこで知り合った人たちとのつながりは切らなかった。生活保護を受ける前に心身の不調がひどくなったとき、途方に暮れて相談すると玄米食を勧められた。すぐに圧力釜を買い、玄米に小豆やヒジキを入れて炊いてみた。くわえて早食い、大食いをやめると、不調が改善していったのだという。
「その健康法を教えてくれた人は30歳年上で、親身になって話を聞いてくれてな。実の親父にはない父性を感じたの。『健康でないと何もできんよ』と言ってもらって、自分にとっては神にすがるというか、そういう感覚だったね」
ひきこもりの自分でもできること
今の住まいは都立石神井公園のそばにある。佐野さんは自主的に公園の掃除や草取りをしている。
きっかけは雪かきだ。遮光カーテンを閉めて一日中ひきこもっていたとき、一晩で20センチくらい積もったことがあった。坂道で車がスタックしている音が聞こえてきたが、外に出る勇気が出なかった。
「手伝いたい気持ちもあったけど、やらない理由をいっぱい並べているわけ(笑)。ひきこもりだし、道具もねえしなと。そのときに、なんかザワザワしたものが芽生えたわけさ。で、次の日に道路の雪かきを始めたの。それが公園の掃除につながるんだけど、思ったのは掃除も草ひき(草取り)も下向き作業じゃん。だから、人と目を合わせなくても済む。それが自分には向いているなと」
自分でも何か社会に貢献したいという思いがあったのだろうか。そう聞くと、佐野さんは慎重に言葉を選ぶ。
「社会のためにって言うより、社会の一役。それと中村哲さん(※パキスタンやアフガニスタンで30年にわたり民生支援などの活動をしていた医師)の講演会で聞いた『自分のできることで社会作りをしてください』っていう言葉がずっと心に残っててな。だから、ひきこもりの自分でも、何ができるんだろうかっちゅうのは、どっかで考えていたんだよね」