「当たり前ですが、匂いはないですよね、ダウンロードすると」
どこかで音楽というものがもっている力、あるいは音楽だけが起こせるマジックにつながっているのかもしれない。
そう考えていくと日本のレコードも、日本ならではの匂いをきっと持っていたのだろう。日本にいたのでは決して気がつくことのない匂いについて、小沢健二はニューヨークに住んでいた自分の体験を話している。
今は国外で暮しているので、日本製のレコードジャケットの匂いに気がつきます。その匂いは日本にいると、ちょうど自分の家の匂いに気がつかないように、気がつかない気がします。日本製のレコードジャケットの匂いは、やはり和紙っぽい匂いがします。
音楽がデジタル化されて手軽で便利になったぶんだけ、失われたものもが確かにあることが分かってくる。CDはレコードに比べると紙が小さいからか、アナログほどは匂わないという。
アフリカで買ったCDなどをニューヨークに帰ってきて開封すると、しぶとくアフリカの匂いが漂ってくる気がします。日本のCDも、清潔な駅ビルのような匂いがほのかにするかもしれません。当たり前ですが、匂いはないですよね、ダウンロードすると。
アナログ・レコードならではの大きなジャケットという魅力には、目に見える情報量や手に取った質感だけでなく、使われている紙やインクの匂いまでも含んでいた。音楽は耳で聴くだけではないという事実を、あらためて気づかされる。
柴田元幸氏との一問一答のなかで印象的だったのは、「音楽を聴いていない、演奏していないときでも、頭のなかで音楽が鳴っていますか」という質問に対する答えである。
例えば、曲を聴くとその曲にまつわる記憶が甦ったりします。頭の中で、音ではないのかもしれないけれど、何かが鳴る。過去の記憶だけではなくて、未来も鳴っていることがあります。
例えば、アーティストが素晴らしい新曲を演奏しているのを聴いて、その曲の未来の絵が見えて高揚する、という経験をしたことのある人はきっといると思います。
〈略〉
だから、頭の中で鳴っている音楽というのは、証明のしようがないのに、僕らは確かにその存在を知っている、幽霊みたいなものかもしれませんし、もっと言うと、音楽そのものなのかもしれません。
確かに、音楽を受けとめる人の頭の中では、いつだってその人の音楽が現在形で鳴っている。
そして小沢健二は、恩師の「音楽の力とか、文学(文章)の力というものはあると思われますか? あるとしたら、それはいったいどんなものでしょうか」という質問にも、こう明言していた。
あると思います。念力のように、何かを動かす力だと思います。
代表曲の『愛し愛されて生きるのさ』で、そのことを確かめてみたい気持ちになった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/『飛行する君と僕のために / 運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)【完全生産限定盤】』(2021年12月22日発売、UNIVERSAL MUSIC)
引用
柴田元幸編『モンキービジネス 2011 Summer vol.14 いま必要なもの号 「音楽と生活 小沢健二』ヴィレッジプレス