17杯連続でラーメンを残された苦い過去
そこからラーメン作りが楽しくなり、毎年開催されている「東京ラーメンショー」の会場で行なわれた新人職人の発掘イベント「バトプリ」に出演し、見事優勝を勝ち取った。
その後、渋谷で店をやらないかという誘いが来た。メディアでもたくさん取り上げられ、当時芸人の仕事だけで生きていくことは難しかった藤谷さんは、そのとき一気にこの話に乗ってみようと自身のお店のオープンを決めた。
しかし、順風満帆にはいかなかった。
オープンの直後に手伝ってくれていた二人が辞めてしまい、一人で作るしかなくなった藤谷さん。オープン当初は17杯連続でラーメンを残されて、このままではお店は続けられないと絶望の淵に立たされた。
どん底にいた藤谷さんをいろいろなラーメン店の店主が助け、ラーメン作りを教えてくれた。
徐々にメディアでも取り上げられるようになり、人気店に成長した。そこから「ロブスター味噌ラーメン」を引っさげ、ニューヨークのラーメンイベントでも優勝。こうして藤谷さんは芸人としての知名度を凌駕するほどにラーメン店主として有名になっていった。
「これからは秋田のテレビやラジオにも出ながらラーメンを続けていきます。東京で淡々と続けるより、真っ白なキャンパスを選ぼうと決めたんです。
ローカルタレントをやりながら東京と秋田の架け橋になっていきたいと思います。地方の魅力を伝えて、芸人にはこんな道もあるぞということを見せていきたいです」
藤谷さんは地元の食材を使いながら秋田の「ご当地ラーメン」が作れれば最高だと話す。ラーメン職人と芸人、二つの顔での新たな挑戦が始まる。
取材・文・撮影/井手隊長