「ラーメンは地球上で一番熱狂できる食べ物」 

東京で有名になった店が地方の道の駅に移転するという話は聞いたことがない。

都内で移転することに苦戦していた藤谷さんは、「秋田に移転するってオモロイな」と直感的に思ったという。こうして東京の店を閉めて覚悟を持って移転することに決めた。

「せっかくならば、秋田に行って奇跡を起こしたいと思います。秋田でラーメン一杯で人を集められたら本物かなと。大曲を『ラーメンの町にしたい』と地元の方は言っていますので、その話に乗ってみようと、むしろ先頭を切ってやろうと思っています」

東京でお店を続けている中でマンネリ化を感じていた藤谷さんは、このままでは面白みがないと感じていた。変わりゆくラーメン界の中で、目標が薄くなっていたことも確かにあった。

その中で、インバウンド対策や「1000円の壁」など、東京ではラーメン界が変わろうとしている。そういったものをすべて取っ払って、ラーメン一杯で地域の人たちを喜ばせるために藤谷さんは秋田に行くという。

「鬼そば 藤谷」の一杯
「鬼そば 藤谷」の一杯

「ラーメンは地球上で一番熱狂できる食べ物だと思っています。道の駅の来客数を前年の2倍にして地域の活性化につなげたいです。そしていつかはニューヨークに秋田のラーメンを持っていきたいという思いもあります」

藤谷さんは秋田で道の駅でお店を開くほか、キッチンカーにもチャレンジしたいと考えている。家賃・物件の高騰はラーメン店の運営において非常に大きな問題だ。そうした中で、キッチンカーなどの移動式屋台が今後の最先端になると考えている。

「東京でキッチンカーをやると駐車場の問題が出てきますが、秋田ならば6台、7台と用意しておくことが可能になります。キッチンカーならば災害時にもラーメンを作りに行けますし、ラーメンイベントにも出やすい。一日だけラーメンを作りに行くこともできます。全国各地に自分のラーメンを届けに行くこともできるんです」

もともと藤谷さんはお笑いを続けるためにラーメン屋を始めた。

“ラーメンの鬼”と呼ばれた「支那そばや」佐野実さんのモノマネをしていて、ラーメン店とコラボしたのがラーメンを作りはじめたきっかけだ。店頭でモノマネをしていたのが、そのうちホールを手伝うようになり、ラーメン作りもするようになった。お客さんも佐野さんそっくりの藤谷さんがラーメンを作っているのを見てとても喜んでくれた。