「自分が汚いもののように見えてきますし、軽いものなのかなと」
2月5日に開かれた第2回公判では、少年に被告人質問が行なわれた。少年は、質問に対して冷静に、そして淡々と答えていた。
両親が少年に対して暴力をふるうといった虐待行為は、小学1〜2年生のころから、中学生になるまで週3回程度あったという。
少年は、「直接殴ってきたり、蹴ってきたり、お酒を頭からかけられたりしました」と話し、両親が暴力をふるうときは、いつも機嫌が悪かったと振り返る。
それだけにはとどまらず、少年によると、「(両親から)下僕と言われたり、根暗、陰キャとなじられることも多々ありました」と、人格を否定するような言葉を投げかけられることもあったという。
また、小学生のころからたびたび、家を追い出されることがあり、少なくとも2~3日は帰れない日があったという。その間は公園での生活が余儀なくされ、靴も履けずに裸足で閉め出され、極寒の冬はつらかったと語る。
「(両親が連れ戻しにくることは)いっさいないです。家の前に何度か行って、ドアが少し開いていると戻れます。戻ったときは、両親はすでに寝ていて、帰ってきたことに気づくと、『なに、お前帰ってきたんだ』ということもあれば、また閉め出されることもありました」
さらに、両親は日常的に家事をすることがなく、小学生のころから掃除と洗濯を、中学生のころからは、健康的な食事を求めて自炊もしていたと話す。
当時、両親は共働きで、父親は老人福祉施設に勤務しており、不規則なシフト制。母親は薬剤師で、午後7時ごろには帰宅していたというが、少年が両親の分も夕食を作っていたという。
だが、少年が作った料理を前に、両親は驚きの行動に出ていた。
「父は、基本的に食べないですし、母は何も言わず、全く手を付けずに捨てることが多かったです」
また、小学校低学年のころの父親のある行動が、印象に残っていると述べた。
「小学1年か2年のときだったと思うのですが、父が父方の祖父母と電話で口論になり、『ジジイとババアを殺しに行く』と、包丁を持って家を出ていこうとしたことがあって、母と自分がなんとかなだめて、おしとどまりました。そのときに、父を怒らせたら怖いなと思いました」
さらに裁判で、少年が弁護人にすらこれまで話すことのなかった、衝撃的な出来事をおもむろに話し始めた。
「母と口論になった後、寝室で父の布団に母が潜り込んで、性交をしていました。父が電気をつけて、自分を呼びつけて、目の前で見せつけてきたり、『お前もこうやってできた。若気の至りだった』とか言いながら、自分の顔を母の股間にくっつけてきて、ベランダに放り出されたことがありました」
「そういうのを見ていると、自分が汚いもののように見えてきますし、軽いものなのかなと思い、すごくつらかったことを思い出します」