ボブ・ディランと谷川俊太郎の共通点
1960年代半ば、アメリカでは若い世代の間で、フォークソング・ムーブメントの風が吹き荒れていた。
ベトナム戦争に対しての新しい反戦歌が次々に作られ、ジョーン・バエズ、バフィー・セントメリー、フィル・オクス、トム・パクストンなど、若いフォークシンガーたちが頭角をあらわしていた。
そんな中、ボブ・ディランの『Blowin' in the Wind(風に吹かれて)』は、時代を象徴する曲として圧倒的な支持される。
1963年5月に同曲をリリースしたディランは、同年8月にジョーン・バエズに誘われてワシントン大行進に参加し、特設ステージで『Only a Pawn in Their Game(しがない歩兵)』を歌った。
黒人の公民権運動活動家メドガー・エヴァーズが、家族の見ている自宅前で射殺され、陪審員全員が白人の法廷で、犯人の白人が“無罪”になるという実際の事件があった。
ディランはこの出来事をもとに『しがない歩兵』を作り、その中で犯人もチェスゲームのポーン(歩兵)に過ぎないと歌ったのだ。
当時、公民権運動で歌われていた『We Shall Overcome(勝利を我等に)』も含め、それらの歌は「プロテストソング」と呼ばれた。
『風に吹かれて』のヒットにより、「プロテストソングの旗手」として祀り上げられたディランだったが、「正面を切って歌っても通用しない」といち早く見抜くと、一時期からプロテストソングを歌わなくなった。
政治的なメッセージに対して“正面を切る”という手法を変えたディランだが、日本でも、詩人の谷川俊太郎にはある種の共通点があると言える。
そんな谷川俊太郎が、小室等ら日本のシンガー・ソングライターに与えた影響は計り知れない。
実は、若き日の中島みゆきもその一人だった。