「論理的」の反対は「感情的」
たとえば、説得したいがために論理的に考えるのだとしたら、説得したいという課題(目的)が明確にあるわけだ。すると、まずはじめに重要なことは、その課題を明確にすることである。
何を伝えたいのか、何をしたいのか。伝えたいこと、したいことがなければそもそも論理的に考えようという発想に行かないだろう。
ある男女がいるとしよう。おたがいに理解しあっていて、「好き、好き」と言いあっている恋人の間では、論理は必要ない。なぜ私があなたのことをこんなに好きなのかということを論理的に根拠づける必要はないはずだ。感情やフィーリングで十分伝わっていて、理解できてしまっているから、わざわざ論理を持ってくる必要性はない。
ところが、二人の間で意見が食い違ったときは、恋人同士や夫婦であっても、論理が必要になる。
たとえば、妻は仕事がしたい、しかし夫は妻が家から出ることに反対だ。そこは感情やフィーリングでは伝わらない。「俺はこんなに君のことを思っているのに、なんでわからないんだ」と感情をぶつけても、伝わらないのである。
そういうときはある程度の論理を使い、相手が理解できる共通の概念や言葉などを示しながら、説得することになる。そうしないで頭ごなしに否定しても、まったく理解されないだけでなく、しこりが残ってしまうだろう。
「論理的」の反対は「感情的」だ。
もちろん感情でも伝わることはいくらでもあるから、それでいい場面もある。だから論理的に考えていい場面と、感情や受容を大切にする場面は、ときと場合によって区別をしなくてはいけない。