日本人が支配されている「ペーパーテスト信仰」
まず初めに、日本人が支配されている「ペーパーテスト信仰」の原点に迫っていきたいと思います。ペーパーテスト信仰の歴史を辿ると、やはりお隣の中国の「科挙」システムの影響を色濃く受けていることがわかってきます。
科挙制度とは、前近代の中国社会が持っていた官僚育成のための選抜試験であり、優秀な国家官僚の登用のために開発されました。
隋時代の598年に文帝によって初めて導入され、清時代の1905年に廃止されるまで1300年以上にわたって続きました。閉じられた世界での選抜ではなく、広く門戸を開き優秀な人間を選抜することが目的でした。
科挙制度は家柄や出自に関係なく、ペーパーテストで点を取りさえすれば高級官僚への道が開けるという非常に画期的なシステムであり、世界的な評価も高いです。
ヨーロッパなどでは18世紀頃まで高官は貴族の世襲が当たり前でしたので、6世紀の隋の時代にこうした万人に開けた制度を確立していたのは驚嘆に値します。
科挙は今の受験などとは比べ物にならないほど熾烈であり、倍率は4000倍に及んでいたといいます。
まず「童試」という入試に合格することで国立学校への受験許可をもらい、その後いくつも本試験を受けるための予備試験を受験する必要があります。しかも受験は3年に1度で、落ちたら最初からやり直しというリセット機能が搭載された鬼畜仕様でした。
そんな地獄のような予備試験を突破してようやく本試験。本試験では2泊3日試験用個室に閉じ込められ、極限状態で受験を戦うことを強いられます。中にはカンニングをする者もいましたが、発覚したら厳しい罰を処され、一族郎党皆殺しとなることも珍しくなかったようです。
最終試験合格者の年齢は30代後半がボリュームゾーンで、子供時代から数十年を受験に捧げてやっと合格を勝ち取った人が多数派でした。もちろんその年で合格できない人は50歳、60歳になっても受験を続けていたといいます。
終わりの見えない受験スパイラルの中、発狂や自殺をする受験生は後をたたず、死ぬまで受験を続け浪人を重ねたまま寿命を迎えた人もいたようです(私はこの死に方を勝手に「浪死」と呼んでいます)。