共通一次試験の導入

高度経済成長の中で大きく業績を伸ばしていた日本企業ですが、大手企業の採用大学は決まった上位大学で固められており(今も状況はたいして変わっていませんね)、18歳時点の学力が生涯の地位や年収を左右する最重要ファクターとなってしまいます。

こうした学歴至上主義的な事態や詰め込み教育への批判が高まり、これを受けて文部省が対策に乗り出すことになります。

1971年(昭和46年)に文部大臣の諮問機関である中央教育審議会が具申した「四六答申」の中には、「共通テストを開発し、高等学校間の評価基準の格差を補正する」「必要とする場合、専門分野において重視される能力についてのテストや論文、面接を行い、それらの結果を総合的な判定の資料に加える」という内容が盛り込まれました。

国立大学協会も検討に入り、全国共通の一次テストを実施し、その上で各国立大学が独自の試験を行うスタイルが導入されました。

1979年度より国公立大全受験者が「5教科7科目」の「共通一次試験」(国公立大学入試選抜共通第一次学力試験)を受験することになります。なお、この「共通一次試験」はセンター試験(大学入学者選抜大学入試センター試験)、大学入学共通テストと名前を変えながら、現在でも同形態で実施されています。

2浪中の予備校生が受験のストレスから両親を撲殺した「金属バット殺人事件」の背景にあった、加熱する受験戦争と教育虐待の実態_1
すべての画像を見る

国立大学の入試は、戦前の旧帝国大学からの流れを引き継ぎ、1950年代までは論文入試が普通でした。

しかし、1960年代以降の大学受験者数の急増によってそのスタイルを維持するのが難しくなってしまいます。大学の大衆化に伴う避けがたい流れですが、これ以降は難問・奇問を含んだ、「受験生を振るい落とすための選抜試験」の様相を呈し、これが問題視されるようになります。

こうした事情があり、「公正・公平」の保証として優れていた共通一次試験が重宝されることになったという側面もあるようです。