因習系ネット怪談の潮流
吉田悠軌は、コトリバコこそが2000年代後半に続々と登場した「集落に隠された因習と謎についての恐怖譚」(つまり民俗学的要素を持つもの。名前だけ挙げると「八尺様」や「リョウメンスクナ」、「ヤマノケ」、「逆さの樵面」など)という方向性を決定づけたとする。
2010年代に入ると、長く語り継がれる新しい話は出てこなくなる(※1)。それに対して、2020年代に入ってもネット怪談と言えば典型的に挙げられるのがコトリバコや八尺様などであることからも分かるように、2000年代後半に生まれた因習系ネット怪談は、20年近く経ってもなお、根強い人気を保っている。
他方で、犬鳴村やコトリバコをはじめとして、古典的なネット怪談のいくつかが、「辺鄙な田舎」や「山の奥深く」に対する差別的認識によって読者にとってのリアリティを帯びることになったという点を無視することはできない。
都市部から遠く離れたところ(あるいは「未開」社会)には、現代文明の常識が通用しない、遅れた観念や非人道的な風習(「因習」や「迷信」などと表記される)を守る固陋な人々がおり、異常な出来事が、さも当然であるかのように生じている──という差別的偏見は、戦後日本に限っても、60年代の「秘境」ブームから70年代の横溝正史ブーム、2010年代後半の「フォークホラー」ジャンルの浸透や「因習村」概念の誕生にいたるまで、連綿と続いている。
因習村のジャンル概念はまだ固まっていないが、辺鄙な土地に、近代的とは思えないおぞましい風習(因習)が隠されており、都会から来た人々がそれに巻き込まれるというパターンを踏むものが多い。近年の映画では『ミッドサマー』(2019)、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(2023)、『変な家』(2024)などが挙げられ、またネット怪談ではやばい集落や犬鳴村などがそれに近い。
ただ、これらのホラーやネット怪談においては、危険なのは前近代から続く風習というより、近代的ではない風習を現代も続けている(場合によってはわざわざ創出している)集団それ自体である点に注意が必要である。
このような観念は、近代化した日本社会においては、そうした因習が表面上は隠されている──という解釈によってリアリティを与えられている。普及初期のインターネットは、おおやけには流通しづらい知識をフィルターなしに入手できる新鮮な場として認識されていた。
そうしたなかでも、都市部の利用者が多かったか、少なくとも都市住民が多いことを前提として書くことが多かった2ちゃんねるは、インターネットとは、田舎の暗部なり非合理性なりを、学者や都市部の出版社によって「骨抜き」にされる前の状態で、しかもリアルタイムで提示してくれるかもしれない空間だったのだろう。
日本のホラー界隈でも、フォークホラーの広まりに連なるように、田舎を危険なものとして描くことが流行っているらしい。これに対しては、2020年に「近年、田舎を田舎というだけで何が起こっても許される装置として乱暴に描いてしまう応募作が多い」という批評がなされている。