巫者(トゥスクㇽ)とは何者か

トゥスクㇽというのは、トゥス「巫術(ふじゅつ)を行う」クㇽ「人」という意味で、『ゴールデンカムイ』の中では、インカㇻマッがこのトゥスクㇽとして描かれています。

これは仕事というわけではなく、自分でなろうとしてなるものでもありません。トゥレンカムイ「憑き神」によって、「なってしまう」ものです。その憑き神は多くの場合は蛇ですが、『アイヌの民俗』(上、133頁)には「蛇だけでなく、熊、小蝦夷鼬(こえぞいたち)、蜂、蝙蝠(こうもり)などであり」と書かれています。

コエゾイタチというのは、日本語ではイイズナともいうイタチ科の小動物で、同じイタチ科のオコジョ(こっちはエゾイタチともいう)とともに、アイヌ語で「サチリカムイ」などの名で呼ばれるものです。

子供の頃に雷に打たれて、それ以来トゥスを行うようになったという人の話も聞いたことがあります。この人の場合はカンナカムイ「雷」が憑き神になっているということですね。

トゥスクㇽがトゥスを行う時は、普段は人間の心の奥にいる憑き神が表面に出て来て、そのトゥスクㇽの心と体を支配し、その口を借りて託宣(たくせん)を行います。多くの場合は病人の病気の原因を探り、その治療法を告げたりします。

この託宣を行っている間はいわゆるトランス状態で、本人は何を言ったか覚えていないということが多いようなのですが、自分の意識を保ったままでも、いろいろなことができる人もいます。

たとえば、インカㇻマッが23巻227話などで披露している、相手の未来を見たり、遠くで起こっていることを見通したりする、いわゆる「千里眼」にあたるウエインカㇻや、10巻96話で超能力者である三船千鶴子の居場所を当てるのに使った、行方不明になった人や物の場所を体全体で感じて告げるイフミヌなどがそれで、インカㇻマッにこの能力があるということは、本物のトゥスクㇽということになります。

『ゴールデンカムイ』23巻227話より(🄫野田サトル/集英社)
『ゴールデンカムイ』23巻227話より(🄫野田サトル/集英社)
『ゴールデンカムイ』10巻96話より(🄫野田サトル/集英社)
『ゴールデンカムイ』10巻96話より(🄫野田サトル/集英社)

トゥスクㇽには女性だけがなるというわけではなく、『アイヌの民俗』(上、133頁)には「男でも巫術をする者があり、とくに東方系(メナㇱウンクㇽ)の中に見られ、阿寒では近年までやる人があった」とあります。メナㇱウンクㇽというのは「東の人」という意味で、日高東部から釧路・根室あたりまでの人を指します。

しかし同書ではその一方で、「樺太でも北海道でもアイヌの巫術は女性が主で」(132頁)と書いてありますし、『アイヌ民族誌』(483頁)でも「なおツ゚スグル【トゥスクㇽのこと】はたいてい女がすることになっている」としています。私自身も女性の話しか聞いたことがありません。

英雄叙事詩の中に登場するトゥスクㇽも基本的に女性ですが、お話の中の世界だけあって、さらにすさまじい能力を持っています。

たとえば、死んで骨だけになった人間に息を吹きかけて蘇生させたり、家の中に居ながらにして、はるか海の向こうから攻めて来る大船団を、大風を起こして吹き戻したりする人物がいたりします。

極めつけが、金成まつさんの語る「虎杖丸(いたどりまる)の曲」という物語に登場する虚病姫(ニサプタスム)で、主人公ポイヤウンペの一族が毒使いに皆殺しにされたのを、彼女は海の彼方にある自分の国から見通し、毒で死んだ者は生き返ることができないと言われているのに、あの世に行こうとしているその魂をかき集めて、全員生き返らせます。

しかもそれを自分の家で仮病(けびょう)を使って寝たふりをしながら(だから虚病姫というあだ名をつけられています)、魂だけ抜け出してやってのけるという、ちょっとチートすぎる能力の持ち主です。