ある日突然、「実家に帰ります」と…
さらに、圭介の「ライブを止めてひとりで曲を書き続ける日々」は、ちょうど「結婚して子供が生まれた時期」と重なっていた。
「子育てが大変な時期だったのに、僕が全然うまくできなくて、そのことに僕自身もめげて、結局犬と部屋に閉じこもって曲を作っていて、家庭内別居みたいな状態になって。
で、ある日、突然いなくなっちゃった、『実家に帰ります』と。犬も連れて行っちゃって。かなりきつかったですね。自分のせいだけど」
しかも、アンティノスからの最後の1枚になるはずだったそのアルバムは、デモ音源まで作ったが、レコード会社の都合で、リリースできないまま契約が終わる。
「この音源、おまえらにやるから」と言われたそのアルバムは、『吐きたくなるほど愛されたい』というタイトルで、フラカンと一緒に同社を去ったディレクターが立ち上げたインディー・レーベルから、2002年7月にリリースされた。
「ちょっと前までチヤホヤされてたのが、バンドの人気が下がり、お客さんが離れていき、家族、犬もいなくなり、レコード会社とマネジメントの契約もなくなって。もう完全に、社会に必要とされてない、みたいな感じになりました。
でも、バンドをやめようとは思わなかった。僕の生きる価値は、もうバンドにしかなかった。メンバー以外に友達もいないし、バンドがなくなったら本当にひとりになってしまうなと。
それに、契約が終わって最初は、5ヵ月ライブができなかったことで、僕よりも他のメンバーがストレス溜まっていましたから。とにかく早くライブを再開したい、という気持ちで。
それでグレート(グレートマエカワ。ベーシストでありリーダーでありマネージャーであり社長)が、地方のライブハウスとかイベンターに連絡して、すぐブッキングを始めました。あのとき以降、今でもずっとグレートがライブ、ツアーを組んでくれています」