「やめるか? 自ら命を絶つか?」二択の中で選んだ答え

当時は、ソーシャルメディアの「ツイッター」(現在のX)が2006年にスタートしてからまだ3年目で、現在ほどのユーザー数はなかった。ただ、ブログ、ネット記事へのコメント欄は15年前も現在と同じように活用されており、そうしたメディアを通じてオンライン上で誹謗中傷を受け続けた。

一方で、齋藤は三沢さんが亡くなった直後にこうした中傷を受けることは覚悟していた。三沢さんが亡くなった翌朝にある決意を固めたという。

「このままプロレスラーをやめるか? 自ら命を絶つべきなのか? 二択の中で迷いました。ただ、その時に思ったことがあります。それは、自分が引退、あるいは、命を絶てば一見、責任をまっとうしたかのように思えます。だけど、三沢さんにはファンの方々、ご家族、支援してくださった方々がいらっしゃいます。

自分がいなくなったら、その方たちはどこに怒りをぶつけるんだろう? と考えました。それならばすべてを受け切ろうと決断しました。受け切るために『リングへ上がること』が自分がやらなくてはならないことだと覚悟しました」

試合中の齋藤選手(右) ©PRO WRESTLING NOAH
試合中の齋藤選手(右) ©PRO WRESTLING NOAH

あれから15年。SNS時代は急拡大した。
齋藤のもとには今も誹謗中傷は書き込まれ続けているという。

「私は、当時も今も私のXなどに直接、コメントしてくださる方には返信しています。そこには『大変、申し訳ありません。私のなかで三沢さんと約束したことがあります。やらなければならないことがあるので、もう少しだけリングに上がらせてください』と返信しています。それでも『ふざけんな。バカ野郎』と返す人もいらっしゃいます。

私は、それも受け止めます。中には言葉は悪いんですが、愉快犯のような投稿もあります。ただ、書き込まれる中身がなんであろうがどうだろうが、書き込みが来たことにちゃんと対応しています。そうすると、同じ人が継続して書き込むことはありません。

その中には本当に三沢さんのことを思って言ってらっしゃる方もいれば、そうではない人もいます。だけど、あの日、受け切ると覚悟した以上、来た人には同じ対応をしています。私は言葉とは贈り物だと思っています。ですから、どんな人にも自分なりの贈り物を届けたいと思っています」