三沢光晴、最後の対戦相手
アスリートに対するSNSでの誹謗中傷が後を絶たない。
今夏のパリ五輪では、国際オリンピック委員会(IOC)の選手会が大会中に8500件を超えるオンライン上での悪質な投稿があったことを発表。誹謗中傷を避難する声明を出した。日本のプロ野球でも昨年3月に日本野球機構(NPB)と選手会が連盟で悪質極まる誹謗中傷投稿に対し法的措置など断固とした措置を取ることを打ち出した。
さまざまなジャンルの団体、アスリートが対策に苦悩しているが、プロレスリング・ノアで活躍する齋藤彰俊は今から15年前の2009年6月13日にリング上の事故で急逝したプロレス界を代表するトップスターだった三沢光晴さん(享年46)に、意識を失う直前に技をかけた。
それ以降、ネット上、直接の手紙などで誹謗中傷が相次いだ経験を持つ。齋藤は11月17日に名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退試合を行う。34年あまりのプロレス人生を終える前に自身が受けた誹謗中傷の経験、自身が向き合ってきたこれまでの対応について打ち明けてくれた。
齋藤は、2009年6月13日、広島県立総合体育館でのタッグマッチで三沢さんと対戦した。リング上で放ったバックドロップで三沢さんは意識を失い、広島市内の病院へ救急搬送された。集中治療室で蘇生措置が取られたが三沢さんは「頸髄離断」で急逝した。
絶大な人気でプロレス界をけん引してきた三沢さんの最後の対戦相手となったことでネット上でおびただしい数の誹謗中傷を受けた。
「当時、私はテレビの情報番組に出演させていただいておりました。そのテレビ局のサーバーを利用したブログをやっていましたが、あまりに誹謗中傷の投稿が書き込まれてサーバ―が落ちたほどでした。しかし、私はそのすべてに目を通しました。
『お前がやめろ』という書き込みから、中には『人殺し』『死ね』という誹謗中傷がありました。一般の方だけでなく同じ業界であるプロレスラー、格闘家の方からも中傷を受けました」