ボロアパートからのスタート
大津さんはまず、事業計画書を書いた。
筆者はその時の事業計画書を見せてもらったが、初めてのことに挑む緊張感が伝わってくるような紙面で、不慣れな内容ながらも、丁寧な字で、手書きで書かれたものだった。
「当時小学校4年生の息子は大のゲーム好きで、ゲームの大会に出るのが将来の夢だったのですが、私はそんな夢見がちな彼の夢を叶えられる母親になりたいと思ったんです。
そのためにはお金が必要。だから分からないなりにも、とにかく『自分の頭の中を紙に書き出そう』という一心で、事業計画書を書き上げました」
事業内容の欄には、「子育て中、もしくは子育てが一段落した女性の、社会進出事業」。最終目標の欄には、「私は幸せになる」と書かれていた。
お金がない大津さんには、時間もなかった。そんな中、がむしゃらに起業に向けて邁進する大津さんを、応援する人はほとんどいなかった。
それどころか、「会社なんて起こしてもうまくいくわけない」「弱虫なあなたが起業しても失敗するに決まっている」などという言葉をシャワーのように浴びせ続けた。
「誰も信じられないばかりか、自分さえ信じられなくなっていました。でも私は、子どもと2人で生きていくと決めたのだから、『他人に求めてばかり、自分に言い訳ばかりしてきた人生に、一度終止符を打とう』と、自分に言い聞かせました。
『お金がないなら、知恵を出そう』とも……。清掃の仕事なら、バケツに雑巾1枚と洗剤があればできますから」
ところが起業するにあたり、事務所を借りるにも試練が待ち受けていた。
「どこの不動産会社に行っても、シングルマザーで身元保証人がいないということで断られました。『シングルマザーはヤクザと同じだから』と冷たい言葉を浴びせられることあり、途方に暮れました。
そんなとき、シングルマザーの事務員さんがいらっしゃる不動産屋さんに巡り合って……。その事務員さんが大家さんに掛け合ってくれたおかげで、ようやく事務所が借りられたんです」
事務所といっても、築30年以上と思しきボロボロのアパートの一室だった。
「『雅荘』というアパートでしたけど、雅なところはどこにもありませんでしたね。会社の看板も、ドアにテプラで作ったものを貼り付けただけ。そこからゼロベースで事業をスタートさせたんです」
一つの区切りとして、ずっと続けてきていた化粧品販売の仕事も辞め、裸一貫でのスタートだった。