フルカラーの「錦絵」が誕生
狂歌がブームになっていたとはいえ、それは文字で書かれた詩です。
興味のない人は手に取って詩集を読もうと思わないし、ましてや普段から書物を読む習慣のない人には、貴重な本も無価値な品でしかありません。
しかし、これに絵を挿入したら、どうなるでしょう?
現代でも、「小説は読まないけれど、漫画は読む」という読者は大勢います。
また、難しい経済の理論や世界情勢の話でも、漫画や図解でわかりやすいものにすれば、「皆が手に取ってくれる」ということは考えられます。
古くからの日本の出版物は、木版画で摺られていました。墨一色の文字摺りだけだったものに、やがて挿絵が入り、その挿絵が人気となって、独立した浮世絵版画が誕生したのが江戸時代初期のこと。
墨一色の絵では物足りないと手彩色(てさいしき)が施され始めますが、1枚1枚手で塗っていては量産できないので、墨絵に紅と緑の版を摺り重ねる「紅摺絵(べにずりえ)」というものが出回ります。そこから一挙にフルカラーの「錦絵」が誕生しました。
18世紀の中頃になると、役者や力士を描いた錦絵が登場し、町人たちの人気を集めていました。勝川春章などの、有名な浮世絵師も世に登場しています。
そこで狂歌集を作る際、蔦重は人気絵師の挿絵を大きく入れた「狂歌絵本」という新しいジャンルで、続々とヒット作を生み出しました。
ただし蔦重以前から、書物に挿絵を入れるアイデアは、すでに行われていました。鱗形屋(うろこがたや)孫兵衛も、挿絵の入った狂歌本を出版していますが、狂歌が主体で絵は添え物程度の目立たないものでした。
それに対して蔦重は完全に逆の発想から、挿絵が主体で、上部に狂歌が1、2首掲載されているという狂歌絵本を定着させたのです。
そもそも江戸の人々は、どんな理由で「錦絵」を求めていたのでしょうか? 一番は好きな役者や力士の、肖像画を楽しむためです。
蔦重はこの考え方を「狂歌絵本」に生かします。さながら「百人一首」のように、人気の狂歌師たちのフルカラーの肖像画とともに、各人の作品を紹介したのです。
テレビやネットのない時代、人々は高名な狂歌師たちがどのような風体をしているのかわからないため、狂歌師のガイドブックともいうべきこの『吾妻曲(あずまぶり)狂歌文庫』は狂歌絵本ブームに火をつけました。
文/車 浮代













