母親が再婚し、家に居場所がなくなる

中学3年になると、「腹をくくって」学校に戻った。そのまま不登校を続けると内申点が取れず、高校に行けなくなると思ったからだ。

「母親の姿を見ていたから、働かなければ食っていけないとは思ってたけど、中卒でちゃんとした仕事に就ける気はしなかったし、高卒なら、まだワンチャンあるかなって」

高校に入り、初めて普通の学校生活を送った。万年補欠だったがバレー部に入り、ファストフードでアルバイトも始めた。

しかし、2年生になると生活が再び荒れ始める。母親が再婚することになり、その相手と馬が合わなかったのが原因だ。

「家に居場所がなかったから、放課後は予備校で勉強するって言いながら、そのままパチンコ屋行ってギャンブルを覚え、タバコを覚えて。

予備校が別れた父親の会社の近くだったので、けっこう一緒に飯を食べたりもしてましたね」

写真はイメージです。写真/Shutterstock
写真はイメージです。写真/Shutterstock

父親の話が出たので、疑問だったことを聞いてみた。死にたいほど辛かった時期に、実の父親に助けを求めることはできなかったのかと。

「父親は他の女と浮気して蒸発しちゃったような遊び人だったんですよ。やっぱ軽蔑してましたし、それに、向こうも新しい家庭を持っていたから。たまに会うと小遣いはたくさんくれたけど、助けてくれとは言えなかったですね」

高校卒業を前に、母親から三択を突き付けられた。このまま母親と暮らすか、父親のところに行くか、1人暮らしをするか。

「そんなこと友だちにも相談できないじゃないですか。1人で悶々と悩んで、結局、母親のもとにいて、大学受験を頑張る方向になったけど、勉強は全然、身が入らなかったですね。母親の再婚相手と顔を合わせたくないから、パチンコ屋とかゲーセンに行って、なるべく家に帰らないようにしてました」

2浪し、もう後がないと思っていたとき、たまたま得意な数学だけで受験できる大学を見つけ、合格した。

なおさん(48歳)
なおさん(48歳)

ブラックな職場でうつ病を発症

情報学部でプログラミングを学び、大学を卒業したのは2000年。バブル崩壊後の就職氷河期だったが、唯一、IT業界だけは活況で、なおさんはIT企業の下請け会社にすんなり就職できた。

だが、3か月の研修が終わるとすぐ出向させられた。本当は就職と同時に1人暮らしをしたかったが、出向期間が延び延びになったため、実家暮らしのまま2年半勤務。出向先から元の会社に戻ると体に異変が起きる――。

「戻ったら壮絶ブラックなんすよ。2日連続で徹夜とか、むちゃくちゃなんすよ。一晩中会社にいて、朝ちょっと軽く寝ようと思って、最初のうちは眠れたんですけど、半年も経たずに睡眠サイクルが壊れちゃって。眠れないから、気力が湧かないし、力も入んない。

会社帰りに本屋に寄って、うつ病の特集をやってる雑誌のチェックシートを見たら、全部当てはまって。で、病院に行ったら、『うつ病だから、すぐ会社休め』って言われて、いったん会社を辞めました」

写真はイメージです。写真/Shutterstock
写真はイメージです。写真/Shutterstock

退職後は傷病手当を受給。そのまま2年間、家にひきこもって療養した。たまにパチンコ屋などに行く以外、自分の部屋からほとんど出ず、家族とも話さないまま食事も自分の部屋で食べていた。

睡眠障害はなかなか治らず、薬がどんどん増えて睡眠薬だけで4種類、抗うつ薬を含めて6、7種類の薬を服用。ようやく体調が少し安定したところで、大手不動産会社にシステムエンジニア(SE)として再就職をした。

「働けるようになったのなら家から出ていけ!」

母親の再婚相手にいきなり怒鳴られ、なおさんはその日のうちに家を出た。だが、住む場所はない。カプセルホテルや友人の家を転々としながら住まいを探した。

仕事は忙しく、終電になることもしばしば。母親に「呂律が回っていない」と指摘され、多剤処方に気付いて別の病院を探し、薬の量を調節してもらって働いていたが、うつ病が再発してしまう。結局、大手不動産会社も2年で辞めざるを得なかった。