井戸前知事の体制の否定が狙いか
文書は片山副知事の通告が五百旗頭氏死去の「前日」だったと誤って書いており、片山副知事は辞職を発表した7月12日の記者会見で、自身の面会は6日前だったことを強調。
さらに「4人いらっしゃる副理事長を組織の効率化から2人にすることをご相談していますが、削減するお二人の副理事長さんが兼務する『人と防災未来センター長』や『戦略研究センター長』につきましては続けて就任していただく方向で作業するとしておりまして、そのことで理事長さんを圧迫したという認識はありません」と反論している。
さらに斎藤知事もこう主張する。
「当時、片山副知事の報告を随時受けながら、適切に人事の対応をしてきたものと考えています。もちろん、五百旗頭先生や名前の挙がっておられる2人の先生についても、大変尊敬をしております。機構の人事は任期に伴う適切な判断だったと考えています。
今回の機構の人事について、五百旗頭先生の命を縮めたことは明白というふうにあるのは、科学的根拠もないまま、ある種の誹謗中傷にもなるものなので、大変私自身も残念だと思っています」
無論、今回の人事と五百旗頭氏の急逝の因果関係を証明することは不可能で、A氏の指摘はこの件では「告発」とも呼べないものだ。
だが、県OBは「井戸前知事が自身の人脈も使って作り上げた綺羅星のような専門家集団を、斎藤知事は井戸体制を否定したいという一念でつぶしにかかっているとしか思えない。この人事は五百旗頭さんの両腕をもいだも同然で、時期的にも信じられない仕打ちだ」と話す。
A氏が告発文書を書いた3月12日は、五百旗頭氏の初七日に当たる日だ。Aさんが3月末の退職を待たずに告発したのは、五百旗頭氏の死を見て、こらえきれなくなったのだろうと親しい知人は推測している。
7月27日、五百旗頭氏ゆかりの神戸大で研究機構が「偲ぶ会」を開き、300人超の知人や県関係者が集った。斎藤氏は知事でありながら「弔辞の依頼は検討もされなかった」(県関係者)といい、献花をしただけで会場を離れた。
その直後に記者団から、五百旗頭氏の急逝が告発文書で指摘されたことへの受け止めを聞かれると「本日は五百籏頭先生を偲ばしていただく会ですので、文書についてのコメントは差し控えたいと思います」とかわしている。
その上で「知事の仕事をしっかりやらせていただくということが大事だと思っています。先生のお考えやご遺志を継いでですね、災害に強い地域社会づくりというものを目指していきたいと思います」と県政継続になお意欲を見せた。
だが、それを可能にする人材もトップへの信頼も、どんどん細っている。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班