雑誌創刊のためパブリック・スクールを17歳で中退したリチャード・ブランソン
「ねえ、ヴァージンっていうのはどう? 私たちってビジネスに関してはまったくのヴァージンでしょ?」
1970年のある日、リチャード・ブランソンたちは仕事場である教会の地下室に集まって、新しくひらめいたレコード通販ビジネスに名前をつけようと意見を交わしていた。すると、一人の女の子がおもむろにそう言った。
「それにこの辺ではあんまりヴァージンは残ってないしね」
誰かが笑うと、ブランソンは興奮しながら叫んだ。
「素晴らしい! ヴァージンに決まりだ!!」
リチャード・ブランソン──音楽ファンや起業家でこの名を知らない人はいないだろう。
レコード店やレコード会社を出発点に、80年代以降は航空、鉄道、金融、通信、飲料、化粧品、健康、映画、放送、出版、そして宇宙旅行といった分野へと事業を拡大。
巨大企業集団ヴァージン・グループの会長として、ビジネスや社会貢献活動に取り組むだけでなく、時には熱気球による冒険家として世界に旅立つことでも有名だ。その原点にはどのような風景があったのか?
1950年にロンドン郊外で生まれたブランソンは、学生のためのオピニオン雑誌「スチューデント」の創刊に専念するため、パブリック・スクールを17歳で中退。
そして学生相手のビジネスの利益を上げることに夢中になっていた頃、イギリス政府が小売価格維持契約を廃止したにも関わらず、どの店もディスカウントでレコードを販売していないことに着目。「スチューデント」を使ったレコード通販のビジネスを思いつく。
ターゲットの学生たちは、ロックのレコードが少しでもヴァージンの方が安いと分かるとすぐに飛びついた。ちなみにブランソンは「スチューデント」を売却するために、他の雑誌社の役員たちに将来の展望を熱く語った。20歳の若者はこの時すでに、航空や鉄道のプランも視野に入れていたという。