幕末の不安を吹き飛ばしたグロテスクな幽霊たち
幽霊画の特徴の一つに、特定の人を描いた作品が少ないということもあります。素晴らしく刺激的な名品を残している河鍋暁斎の作品には亡くなった妻・登勢の死に顔をスケッチしたといわれている幽霊画がありますが、これも想像の域を出ません。
死者の供養のために描くならば、生きている姿を描くはずですよね。ただ、暁斎には彼のパトロンであった勝田家の娘、たつが14歳で亡くなった後に描いた作品「地獄極楽めぐり図」があり、これは実在の人物を描いたものとして知られています。
たつがお釈迦様の案内で地獄や極楽を巡るという作品で、彼女はこの中で生前好きだった歌舞伎役者に会って観劇したり、親戚と再会したりしながら、最後には蒸気機関車に乗って極楽に行きます。
幽霊画の一つの流れに骸骨画というのもありますが、これは妖怪のすむ「異界」と幽霊のすむ「あの世」の間にあるものといえるでしょう。
三遊亭圓朝の「怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」をテーマにした、円山応挙の弟子、駒井源琦(げんき)の最高傑作「釣灯籠を持つ骸骨」などはその代表作です。
骸骨の絵には結構いい加減なものも多いのですが、暁斎の「骸骨図」はなんと男と女の骨格を描き分けています。そして、女の方には卵子、男の方には精子の絵を添えている。彼には西洋医学の知識もあったのです。
幽霊画は捨てられない! 祟りが怖くて寺に寄贈
さて、幽霊画のコレクションがお寺に納められていることが多いのはよく知られています。これは、お寺が集めたというわけではもちろんなく、祟りを恐れて寺に寄贈する人が多かったからです。
幽霊画とお寺といえば、前出の圓朝コレクションがある全生庵が有名ですが、千葉県市川市の徳願寺というお寺も結構な数を持っていて、毎年1回、11月の「お十夜会(おじゅうやえ、十日十夜法要)」の日に一般公開しています。
福島県南相馬市の金性寺(きんしょうじ)は、幽霊画の掛け軸を供養してあげますよと言ったら全国からたくさん集まり、今では86幅ものコレクションを持つまでになりました。東日本大震災以前はこちらも毎年1回、お盆に「ご開帳供養会」を開いていました。
江戸から明治にかけて盛んに描かれた幽霊画ですが、幽霊を描く画家がいなくなったわけではありません。日本画家の松井冬子は現代における幽霊画の名手ですし、現代美術家の束芋(たばいも)も初期には幽霊を描いていました。もちろん、見る側の興味は今も高い。
日本人には決まった宗教はなくとも、宗教心はありますから、死んだら霊が残ると思っている人は多くいます。だからこそ、今なお夏になれば幽霊画の展覧会やお寺の供養会に人が集まるのです。
文/安村敏信 写真/shutterstock