プロの力を借りて売りまくる
1週間での片付け術
―― マンションの購入と家の売却が決まると、次は「家財整理」です。300㎡の大きな家から、60㎡少々の2LDKマンションへ移るには、モノを減らさざるを得ない。引っ越しをしない人にとっても、家財整理は老後の課題だと思います。
でも、やってみたら、思ったより簡単でした。両親の家の片付けにかけた期間は1週間程度なんです。私が長崎と東京を何度も往復したくなかったから、短期決戦でやるしかなかったというのもありますが、プロの力を借りて売りまくったから早く終わったんですね。ソファ、ダイニングテーブルといったマンションに持ち込めない大型家具は、中古品や不用品を買い取ってくれる業者に売りました。今はリサイクル文化が根付き、そうした業者さんが増えていますよね。それから、イギリスの家じまいを参考に、古美術商、古書店、古銭業者、着物の専門店にも来てもらいました。
―― ご実家に眠っていた骨董品や貴重な本、着物やコインなどを買い取ってもらっています。イギリス式なんですね。
イギリスには屋根裏部屋のある家があって、そこに価値のあるものからガラクタまで、様々なモノが置いてあるんです。家の主が死ぬと、まずアンティーク屋さんを複数社呼んで、価値のあるものだけを持って行ってもらう。その次にリサイクルショップを呼び、リサイクルできるものを持って行ってもらう。残ったものの中からチャリティショップに寄附をして、できないものは処分する……といったイギリス流の段階的な整理方法が頭にあったので、私もやってみようと思いました。手放すのは仕方ないにしろ、誰かに使ってもらえるなら使ってもらいたいという思いが、両親にもありましたから。
―― 服や小物、食器類……小さなモノの取捨選択も、考え出すと時間がかかります。「アイテムごとに1つ選ぶ」など、ルールを決めることが効果的ですか?
そうですね。片付けがスピードアップするのでおすすめです。やっぱりね、モノでも食べ物でも、私たちの親の世代はもったいない精神があるから、自分では捨てられないんですよ。不要なものを「捨てる」のではなく、必要なものを「選ぶ」という発想に切り替えると、前向きになれると思います。そうやってモノは思ったよりラクに片付けられたのですが、書類など紙類の整理。こちらのほうに難儀しましたね。
―― 家の権利書が見つからなかったり、古い通帳が出てきたり。書類整理は日頃からやっておくべきだと痛感しました。
書斎を整理していると、銀行や年金の書類がこれでもかと出てきたり、昔の通帳が束になって出てくる一方で、重要な書類が見つからなくて家じゅうを探しまわったりしました。紙類は私もため込みがちなので、このときの経験から、いさぎよく捨てるようにしています。ためておいて誰か……おそらく娘に迷惑がかからないように。
これでよかったんだろうか……
迷っても、決断していくことで、人生は開ける
――80代からの新築マンション暮らし。環境変化によるご両親のストレスを軽減するために、使い慣れた家具をこれまで通りに配置するなど、具体的なポイントが参考になります。
たとえ引っ越しても、馴染み深い家具をこれまで通りに配置すると、いつも見ていた風景ができあがるんです。それから新築はそのままだと冷たい雰囲気になるので、グリーン(植物)、絵、間接照明を置きました。この三つと、使い慣れた家具があれば、高齢者に居心地のよい、温かい空間になると思います。
―― オートロックの練習と、宅配業者への挨拶。この二つは、高齢者が初めてマンション暮らしを始める際の必須事項だと学びました。
両親がマンションに移るときに一番心配したのがオートロックの操作だったんです。それから重い荷物を宅配ボックスに入れられてしまうと、高齢者には操作が難しいし、取り出すのも持ち運ぶのも危ないですよね。私もよく荷物を送るので、引っ越しのときに宅配業者のドライバーさんに挨拶をして、高齢の両親が二人で暮らしているから、荷物は玄関まで届けてほしいとお願いしました。これだけ高齢社会になったのだから、もっと高齢者にわかりやすいサービスがあればいいのに、と思いますね。
―― 新しい町でご両親を支援するケアマネさん(ケアマネジャー、介護全般をサポートする専門家)も、離れて暮らす井形さんにとって、心強い存在ではないでしょうか。
本当にそうですね。ケアマネさん、家事のサポートなどをしてくださるヘルパーさん、ご近所の方々らに「高齢者、二人暮らし」と伝えることで、両親は二人の生活ができています。先日父が入院したときも、パニックになっている母のマンションにケアマネさんが行き、スリッパから着替えまで必要なものを父の病院に届けてくださったんです。何かあればケアマネさんとはマメに連絡をとるようにしています。
―― そして何よりお母様が望んだ商店街近くでの二人暮らし。ご両親は楽しんでいらっしゃいますか?
まず、生まれて初めて住むマンションの「断熱」性能に感激しています。夏は涼しく冬は暖かいと。長崎も、昨年は猛暑だったり、冬には寒波が来たりしたんですが、大丈夫だったといいます。それからやはり歩くようになりました。商店街から公民館、市役所までが徒歩圏内にあるので、散歩がてら買い物をし、病院に行き、疲れたらカフェで休んでと街歩きを楽しんでいて、多い日は一万歩、歩いているようです。
―― 高齢になったご両親の住み替えを、井形さんは娘としてリードし、サポートされました。ご両親と濃密に過ごされた2年間はコロナ禍も重なり、心が挫けそうになることもあったと思うのですが、最後まで完遂できた原動力は何だったのでしょうか?
マンションを買った以上、二人をそこに住まわせるまでは、住み替えとそれに付随して必要になる親の身辺整理をやりとげようと思いました。不安やストレスもあり大変でしたが、それ以上に、親の住み替えは、私自身の楽しみでもあったんです。両親の新しい生活ってどうなるんだろう。町での暮らしってどうなんだろうと。私の不動産好きの情熱も影響していますね。自分が住みたいと思うような理想的なマンションでしたから、そこで両親がどう暮らすのか、私も見たいという気持ちが強かった。
でも正直、これでよかったんだろうかと思うことは今でもあります。元の家をリフォームして住むという選択肢もあったのではないかと頭をよぎることはあるのですが、今の生活を親が気に入っているので、考えないようにしています。人生っていくつになっても、自分がどう生きるかを決断していくことで、自分らしく生きられるのかもしれませんね。
―― あとがきに書かれたお父様の決意の言葉に、夫婦とは何かを深く考えさせられました。この本は高齢社会の家の在り方、暮らし方を問いかける実用的なノンフィクションであると同時に、心揺さぶる井形家の家族の物語でもありますね。
親と苦楽をともにすることで、親との関係も変わりましたし、90歳手前から新生活を始めた二人のパワーを浴びて、将来、じゃあ自分はどうするかと、自分の老後を考えるようにもなりました。振り返ると親のことは、自分事でもあったんです。この本に書いたのはうちのケースではありますが、どこか参考になるところがあればうれしいです。