父が先か、母が先か、2通り想定した遺言書
ある夜、実家のトイレと洗面所の掃除を終え、お茶を飲んでいると母が「遺言書ノート」なるものを持ってきた。随分、私への警戒心も緩んだようで、広げたノートは反対側から丸見えだ。細かい文字は読めないが、色んな項目を3等分している様子。
私の前で「お父さんがいなくなったら、これはどうするかな」と一人ごちてノートを眺めている。その様子を見て、肝心なことが抜けていることに気が付いた。
もし母になにかあったとき、つまり父が一人残されたとき、誰がどのように父の面倒を見るのか。その視点が丸ごと抜けていたのだ。
私としたことが最もシリアスな課題をスルーしていたではないか。
「お母さんが先に死んだら、お父さんはどうするの」
問いただす私に母はまたしても、シャットアウト。
「そんなことはないわよ。順番で行けばお父さんが先よ」
とんでもない、よくよく考えると、これはまずい。
もし、母が父より先に亡くなったら、もの忘れ、神経痛、人見知りなどで自立生活が怪しい父はアウトだ。
「お母さんがいないとご飯も食べれない。寂しくて生きていけない」とは父の口癖。母なきあと、こんな父を郷里に一人残すことはできない。子どもが誰もいない長崎の施設に入れて様子を見ることも、飛行機代など考えれば現実的ではない。
妹たちが家庭事情で介護に時間をさけないことを想定すると、十中八九、私が父を引き取ることになるだろう。だが、母をなくせば、ショックのあまり父は寝込むかもしれない。もしくは自暴自棄?うつになる?母を求めて徘徊?
頭をよぎるのは、尋常ではない、変わり果てた父の姿ばかりだ。
母の葬儀を済ませ、両親のマンションを片付け、父を東京まで連れて行く。妹たちにも手伝ってもらい、業者も入れて。そうなったら長崎じまいと父の東京移住だ。
東京に迎えれば、在宅が困難な状態でも、自宅近くの施設を使って日常的に行き来しながら父を看ていける。だが、東京都下とはいえ、高齢者住宅や看取りまで引き受ける老人ホームはン千万円の入居費用とン十万の月額費用が発生する。とんでもなく高いではないか。