トルシエ監督の「怒りスイッチ」はメディア公開?
宮本恒靖が「大会を通してチームの雰囲気がよかった」と話す2002年日韓W杯での日本代表。現在のようにSNSも発達しておらず、静岡県袋井市のベースキャンプ地では「世間と隔離されて集中でき楽しんでいた」と中田浩二は話す。「中山(雅史)さんや秋田(豊)さん、森島(寛晃)さんが試合に出ていない組の練習を盛り上げ、率先して荷物運びもやってくれたりして、選手たちを鼓舞してくれた」と森岡隆三。ベテラン選手たちのサポートが、チームの成長を手助けした。
ただ自国開催で予選がなかったゆえに、準備段階では当時の代表監督、フィリップ・トルシエから厳しいトレーニングが課されていた。
特にフラット3のトレーニングは苛烈なものだった。「3人が並ぶ練習は尋常ではなかった」と当時を思い出し少し表情をゆがめた3人は、多くがベールに包まれていた練習内容を明かしてくれた。ちなみに、3氏によるとトルシエからフラット3という言葉を聞いたことは一度もないらしい。
森岡 3人で並んでオフサイドをアピールするときは同じフォームで上げるとか。
中田 半身で構えてとか(笑)。
宮本 一番サボりがちなのは、(会場の松田直樹の写真を指差して)彼でしたけど(笑)。前線からプレッシングしてくれればラインはどんどん上げられる。
森岡 相手のボールが横に動いたときにも駆け引きがある。これだけ守備で(世間に)フォーカスされることがなかったので、楽しかったです。
中田 駆け引きもそうですし、ラインの上げ下げで相手のFWを押し戻すこともできる。自分たちも直線でなく丸みを帯びて動くとか……。
実はベルギー戦翌日に話し合ったフラット3の微調整も「監督にバレなきゃいいかと思っていた」(中田)と選手たちが自主的に行ったもの。2001年、アウェイでのフランス戦で0対5の大敗を喫して以来、選手たちがピッチ上でアイディアを出し合い、アレンジしていく中で育んだ「日本流フラット3」はまさにここで完成形を迎えた。
では、「赤鬼」とも呼ばれたトルシエの素顔とは……。「僕はトルシエと何度もぶつかりながら信頼関係を高めていったと思っています」と切り出した森岡がまず語る。
森岡 実は2019年にJリーグの研修で来られたトルシエと当時の話をしたんですが、彼は「過去に指導していたアフリカの選手にアプローチするときと、日本の選手にアプローチするときはほぼ真逆(のやり方)だった」と。そう考えると、トルシエの鼓舞に僕らが乗せられていた。チームマネジメントはさすがだったと思います。
そんなトルシエの性格を的確に把握していたのは、中田、小野伸二、稲本潤一らの1999年ワールドユース((現U-20W杯)準優勝世代だったという。
中田 僕らはトルシエが怒るときのスイッチがわかるんです。宿舎ではリラックスルームに来て僕らに「最近どうだ」とか聞いてくるし、非公開の練習では、チームの緩んだ空気を引き締めるとき以外は静かなんですが、メディアが来ると途端にスイッチが入る。最初は訳がわからなかったけど、怒るタイミングがわかると「来るよ来るよ」という感じで(笑)。
森岡 トルシエに怒られてスパイクを投げたら、あとで「今日はメディア公開日だった」と気づいたこともありました(笑)。
「マツもそうだけど彼も反抗していましたよ」と宮本に指差された森岡は、中田が明言した「怒りスイッチ」の基準を聞いて納得顔だった。