その後も長くおつきあいしたスターたち

『グーニーズ』(1985)や『インディ・ジョーンズ/魔宮の聖戦』(1984)で人気が出たキー・ホイ・クァン。
とっても性格が良い子役スターで、何回も取材しました。
アルハンブラという中国系が多いエリアの自宅に取材に行ったときに、「スピルバーグ監督が毎年クリスマスギフトを送ってくれる。そのひとつがこの天体望遠鏡なんだ」と嬉しそうに見せてくれました。
スピルバーグ監督は評判通り人格者のようです。

夕方、取材が終わったら、家族のディナーにぜひどうぞとお誘いを受けました。
でも、一家団欒の時間をおじゃましてはいけないと、カメラマンとふたり、丁寧に色々な言い訳を並べてお断りして帰って来ました。

映画スターの自宅で取材! 1980年代の親切で穏やかなハリウッド取材事情_c
1991年、キー・ホイ・クアン(中央)たちと

最後に会ったのは15~16歳の頃かな? ずっとハリウッドから遠ざかってたキー・ホイ・クァンですが、何十年ぶりかで『Everything Everywhere All at Once』(2022) という新作がアメリカで今年3月に公開されました。
ミシェル・ヨーの夫役とのことですが、かわいい子役だった彼が! 映画はマルチバースを扱うSFコメディですが、違う時間軸の世界に飛ばされた気分。

映画スターの自宅で取材! 1980年代の親切で穏やかなハリウッド取材事情_d
同作のサンフランシスコ・プレミアに、ミシェル・ヨー(右)、ステファニー・スーと現れたキー・ホイ。いい大人になりました!
写真:REX/アフロ

ハリウッドで確固とした地位を築き上げ、息の長い演技派として今でも活躍しているダイアン・レイン。
彼女も「ロードショー」の表紙を飾るレギュラーのひとりでした。
『リトル・ロマンス』(1979)でブレイクした美少女で、最初に取材したのは彼女が16歳のとき。
以来、2年おきくらいに取材をし、長いおつきあいが続きます。

最初は、元バニーガールだったというすごい美人のお母さんと一緒に、ジョージア州サバンナから。
次に会ったときはお父さんのバートさんが付き添いで、ニューヨークから飛んできました。
人間的にも素敵なお父さんで、若い娘をスター扱いせず、わがままを許さないできちんとした教育をしていたのが印象に残ってます。

このあとダイアンは良い仕事に恵まれてスター街道を歩き出します。
1988年に結婚すると、夫のクリストファー・ランバートにも紹介されました(1994年に離婚)。
取材で知り合った大勢のスターたちの中でお友達と呼べる人はいませんが、ダイアンとの取材関係はもっとも長く続いた例で、自宅の電話番号を知っていた数少ないひとりです。

映画スターの自宅で取材! 1980年代の親切で穏やかなハリウッド取材事情_d
長いおつきあいをすることになったダイアン・レインと2008年の写真
©HFPA

ダイアンとのおつきあいと、その後変わっていったハリウッドの取材のくわしいお話はまた次回に。

PART2へつづく