アメリカ社会の「良いところ」も見た
大田さんが差別問題に関心を抱くようになったのは米留中の経験が大きい。
「トイレに行くと、ホワイトとカラードと書いてあるわけ、ブラックではない。僕らはカラードだなと思って、そこへ行ったら、黒人が『お前はあっちだ、白人のところへ行け』と。否応なしに差別の問題について関心を持たされました。沖縄の問題も差別の問題だという認識があったからね」
ある日、『デイリーオレンジ』という大学が発行する新聞の記事で、ある犯罪事件の加害者が黒人であったことが強調して書かれていた。白人の時は白人と書かない。メキシコ人の友人と一緒に抗議しようという話になった。
クラスでもそのことについて議論し理解を得た。授業後、新聞部に足を運び抗議すると、編集スタッフは彼らの意見に理解を示した。「黒人」という表現を消すことができたのだ。
「そういうことができるのがアメリカの良いところ」だと気づいた。その経験は、大田さんにとって、アメリカ社会における人権をめぐる抗議の申し立てとその成功体験であったのだ。
大田さんがアメリカに留学していた1950年代の沖縄では、「島ぐるみ闘争」など大きな大衆運動が起きていた。そんな中、大田さんは留学先の大学で、ある論文に出会った。
それは「沖縄人を対等(公平)に処遇せよ」という論文で、オーティス・ベル牧師が雑誌に投稿したものであった。この論文が後に国際人権連盟の議長を動かし、アメリカ統治下の沖縄の実情調査を日本自由人権協会に依頼するという行動に導いた。沖縄の統治について理解のあるアメリカ人との出会いは大きかった。
「戦争が人間を人間でなくさせる。だから、基地は絶対認めるべきではない。沖縄を二度と戦場にしてはいけないということです」
戦争が人間性を奪うことを戦場で痛感した大田さん。アメリカ留学経験を通して、人間性とは何かを問い、留学後もアメリカ人との交流を深めていった。
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