――川上さんが「当時からいろいろとV(TR)にも出ていた宮井(晶、ももいろクローバー初代ディレクター。スターダストレコーズ取締役)さんっていう人がいるんですよ。いまでも暗躍している。そういう人が福田幹大とかを連れてくるんですよ」とか言ってましたね。
そうですね(笑)。宮井さんって小室さんのお仕事をよくされてた方なんですよ。で、あの人が小室哲哉オタクを集める会みたいなことをやって、そのなかのひとりが僕だったんです。
――スターダストとの最初の仕事は声優の中島愛さんだったんですよね。
そうです、「中島愛ちゃんに会わせてやる」のひと言でホイホイついて行って(笑)。
――ダハハハハ! スタダといえばまめぐ! と(笑)。
そうです、それでホントに会わせてくれて。1枚目のソロ(2009年1月28日発売『天使になりたい』)を出したときのプロモーションを秋葉原で打たせていただいて。
――ちょうど『マクロスF』のランカ・リー役でブレイクした直後ですね。
それこそまめぐのバックでももクロが踊ってたんですよ。そういう時期で、「今度こいつらどうにかしなきゃね」っていうことで、「なんかやれ」って言われて。「じゃあ石丸電気とかヤマダ電機を周りますか」っていうところからスタートしました。
――得意な秋葉原の文化と結びつけて。
そうです。だからアイドルはそこから勉強し始めた感じですね。
ももクロとアニソン
――初期のももクロにアニソン的な要素が混じってたのは、アニオタ側のFKDさんがよくわからないまま引きずり込まれたからなんですかね?
そうですかね。あの頃、『スタ☆コレ』っていうアニソンカヴァーのコンピレーションCDにももクロが参加したんですよ。そこに収録した『最強パレパレード』(ラジオ『涼宮ハルヒの憂鬱 SOS団ラジオ支部』主題歌のカヴァー)とか、いまでもたまにやったり。
――当時はももクロをどんな感じのグループにしようって感じだったんですか?
いまとなっては1ミリのかけらもないんですけど、メンバーにSKE48に行った高井つき奈がいたんですよ。それで高井を中心にやるみたいな感じで。彼女の特技が日本舞踊だったので、和をコンセプトにしたものをやろうってことで『ももいろパンチ』ができたところが出発点でしたね。