将棋との出会いは5歳の夏

そんな聡太少年に、いよいよ将棋との出会いが訪れる。藤井のご両親は将棋を指さないが、藤井が5歳になった幼稚園年中の夏、隣の家に住む祖母の育子さんがしまってあった盤駒を出してきたのだ。それはスタディ将棋と呼ばれる、初心者用に駒の動かし方が表面に書いてあるものだった。

育子さんは駒の動かし方もあやふやだったのでスタディ将棋でしか遊べなかったが、聡太はすぐに駒の動きを覚え、指しても敵わなくなった。今度は将棋が少し指せるおじいさんに代わったが、そのおじいさんもすぐ聡太に勝てなくなったという。

5歳になったばかりの夏に聡太は将棋を覚えた。そして、すぐルールを教えた育子さんに勝つようになり、少し指せるおじいさんも負かしてしまう。ここに藤井のゲームセンスを感じる。強いとか、弱いとかいう問題ではない。初心者が将棋を覚える場合、駒の動き方を覚えるのが最初の壁になる。

大人になってから将棋のルールを覚えようとする人はここで苦労することが多い。将棋の駒の動き方に慣れるには時間がかかる。特に桂馬や飛車、角など、いわゆる「飛び駒」の動きは頭の中でつかみにくい。子どもはそれを理屈ではなく、感覚で覚える。だから早い。

そして、この駒の動きをはっきりつかんでいないと、将棋の勝負がつく一番の急所である「詰み」を理解できない。駒の動きと、詰み。極端に言えば、ルールはこの2つだけ覚えてしまえば将棋を指すことができる。だが、並みの初心者はここでワンステップ、ツーステップかかるのだ。聡太はこれを一瞬で乗り越えた。

やがて、おじいさんも聡太の相手をするのは大変になった。それでも聡太は「将棋が指したい」と言う。そこで近所の将棋教室を探すことになった。ここから藤井の運命は将棋に向かって動き始める。

「聡太、お母さんにゴロにゃ~んしてると将棋がうまくならんぞ」藤井聡太は何歳から将棋を始めたのか? 運命を変えた「ふみもと子供将棋教室」で発揮した異才_2

運命を変えたふみもと子供将棋教室

「将棋を指したい」という聡太少年の願いを叶えるため、育子さんは将棋を教えてくれる教室を探した。そして、それは思いがけず藤井家のすぐ近くにあった。

「ふみもと子供将棋教室」は日本将棋連盟瀬戸支部長である文本力雄氏が20数年前から瀬戸市の新瀬戸駅の近くに開いている将棋教室だ。聡太の家からは車で分ほどのところにある。(ふみもと子供将棋教室・瀬戸支部=愛知県瀬戸市孫田町51-12。開講日時=月曜16時~19時、水曜17時~19時、土曜13時30分~16時30分。対象=幼稚園児、小学生。料金=各コース月4000円 TEL 0561-82-3693)

文本氏は、愛知県瀬戸市で生まれ育った、文字通りの瀬戸人だ。将棋は小学校5年生の時、姉の同級生に教わった。中学に入ると仲間に強い子がいて、初めて本格的な知識に触れ、『将棋世界』などの本を読むようになったという。中学3年生で将棋の力はアマ3級くらい。その後、高校時代は対戦相手に恵まれず、たまに教師と指すくらいでなかなか将棋を指す機会がなかったそうだ。

本格的に将棋をやりだしたのは20歳の頃。高校を卒業してからは歯科技工士の技術を習いながら名古屋の栄にあった板谷教室に通うようになった。

その後、歯科技工士の道はあきらめ、リハビリ関係の仕事に従事。8年ほど板谷教室に通い、板谷四郎九段や大村和久九段の指導を受けた。その後は瀬戸市に近い尾張旭市の森林公園支部に通うようになり、40歳くらいまでは平日夜と土日の昼間、毎日将棋を指すようになる。当時、四日市市で行われた三段戦(優勝すれば三段の免状が獲得できる)で優勝したのが一番の棋歴だという。