全盲の父を世話するのが好きだった
ーー地下鉄サリン事件(1995年)が起きた当時、麗華さんは11歳でしたが、教団が事件を起こしたことを知ったとき、どう思いましたか?
知ったのはいつかというと、事件が起きたときも違うし、強制捜査が入っているときも違うし。当時は(教団が事件を起こすなんて)ありえないと思っていたので、いつなんだろうな……。
ーー捜査で急にいろいろな大人がやって来てびっくりしたんですか?
急な強制捜査で、捜査官はタバコ臭いし、土足で入ってくるし、壁とかどんどん壊していくし、何が起こっているの?って感じですね。父からは「抵抗しちゃだめだよ、危ないから」って言われて。当時は11歳でよくわからないし、説明もないしで混乱しました。サリン事件という言葉自体は認識していましたが、一般の方と同じぐらいの認識だったと思います。オウム真理教によって起こされたよって伝聞で聞いているような感じでした。
ーー麗華さんが12歳のときにご両親が逮捕されました。そのときはどういう心境でしたか?
父が逮捕されたときは本当にショックでした。世界が終わっちゃうみたいな。朝起きて、父の顔を見て、介助をして、部屋に戻ってマンガを読んだりして…という感じで父がいるのが当たり前で育ってきていたので。もちろん母が逮捕されたときもそれなりにショックで。ショックなことがありすぎて、よくわからなくなっていましたね。
ーーお父さんの介助をしていたんですか?
父が全盲になっちゃったので、道を歩くときに道を教えてあげたり、道案内しながら見える景色を教えてあげていましたね。すごい風が吹いていて、木の葉がいっぱいだよとか。
ーー今で言うヤングケアラーみたいな。
今風に言うとそうなのかもしれないです。妹や弟の面倒も見ていて、私が6歳のときにはもうおむつを替えてミルクもあげてと、ひと通りのことはできたようにも思います。
ーー教団が崩壊しそうな中、麗華さんはいつから教団を運営する側に回ることになったんですか?
実際のところは、幼すぎて運営なんてできるわけもないんですけどね。長老部の座長という立場にされたんですけど、自分の名前も書けない、足し算引き算もできない12、3歳の子供なので、意見を言うだけで怒られてしまうこともありました。
ーーそれは麗華さんが望んだことなんですか?
全然望んでいないです。私が望んでいたのは学校に行くことでしたから。両親が逮捕されたときに、「もしかしたらこれで学校に通えるかも」って思ったんですよ。そうしたら富士宮市の教育委員会が、「こんな騒ぎになっているので受け入れられません、ごめんなさい」って頭を下げてきて。小学6年の年のときでした。