写真はいつか宝物になります
ダンスを習ったことがないちいさな子どもだってうれしいときに踊ります。かなしいときに大声を出す子どももいます。これらだって感動です。言葉を知らなくても言葉が発せなくても感動して作品になります。
だから写真も感動をしたときに撮ってください。だけど写真を見た人に感動はなかなか伝わりません。写真は高精細に撮れちゃうから誤解しちゃうんだけど、決して伝わりやすいものではありません。
誰かが撮った打ち上げ花火の写真を見て感動しますか?なかなか感動まではしませんよね。それよりも音と動きのある映像のほうが感動しやすいです。だけどいちばん感動するのは肉眼で打ち上げ花火を見たときです。音と匂いと気温や湿度や群衆の歓声や混雑など、写真では伝えることができない感覚を刺激されるからです。
じゃあ伝わらないからって撮らないことが正しいかといえば、それも違うと思います。誰に伝わらなくても、伝える相手がいなくても、撮ったときの自分の感動を撮れば、写真を見返したときに感動を思い出せます。
誰かと旅行に行ったときの写真を数年後に見返せば旅行の記憶を思い出します。旅行先の気温や湿度や音や匂いも思い出します。ぼくは初めての海外旅行でインドに1ヶ月行ったんですけど、いまでも当時の写真を見るとインドの騒音と匂いと、抱いていた将来の不安すらも思い出します。
別に他人を感動させる必要はないです、自分で自分を感動させましょう。だからといって自分の感動が他人に伝わるわけじゃないってことも意識しましょう。写真は伝えることは苦手だけど、自分の感情を記憶することは得意です。
だからどんなときでもいつでも撮ったほうがいいです。そのためにも感動のハードルを下げる。感動のハードルを上げたら写真は撮りません。海外旅行にいくと写真をたくさん撮るのは感動のハードルがグンッと下がるからです。
外国人観光客からすれば、ぼくたちが普段目にしている街の景色も感動だらけです。自分が普段目にしている街の景色を「つまらない」と思っている人は、自分がつまらない人なだけです。
おもしろい人というのは、自分の周りのおもしろさに気づきます。おもしろさの感度が高い。だから写真をやるなら、感動のハードルを下げておもしろさに気づく人になる。おもしろい人の写真っておもしろいです。そしてつまらない人の写真はつまらないです。
写真は絵よりもリアルに記録できます、しかも一瞬で。大切な人を亡くした人は故人の写真が宝物になります。青春時代に聴いてた音楽を中年になって聴くと青春時代を思い出すものだし、むかし住んでいた街に行くと当時の生活を思い出すものです。
感情を記録して何年後でも思い出せるのが写真の魅力です。写真はいつか宝物になります。自分の宝物にも誰かの宝物にも。人類の生活には写真は必須だと思いますよ。みなさんも写真を撮る理由を考えてみてください。
文・写真/幡野広志 (すべて書籍『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』より)