まさに「浮世離れした人」になっていった
精神的なリハビリテーションを必要としていたのだろう。
ひたむきすぎるほど真っ直ぐに突き進んできたどんとだったが、ボ・ガンボスのKYONとゼルダの小嶋さちほ、サンセッツの井上憲一と井ノ浦英雄の5人で、「海の幸」という新たなプロジェクトを始動させた。
1990年にインディーズから発売された海の幸のアルバムで、どんとは飄々としてリラックスした持ち味を発揮し、まさに「なんか浮世離れした人」になっていく。
ようやく声が治ったことで、どんとがボ・ガンボス史上でも最高の演奏をしたと自負するライブは、1992年の夏に京都の西部講堂で行われた。
そのフリーコンサートがどんとにとって、20代最後の歌と演奏になった。どんとはその後、1994年のツアー中にボ・ガンボスからの脱退を表明している。
「ビジネスなんて必要ないのだ」とばかり、自らバンド活動を打ち切ってしまったのだ。そして家族とともに沖縄へ移住すると、一人で好きな歌だけを歌っていく道を選んだ。
それから数年後に東京のイベントで共演した大槻ケンヂが、その時のどんとについて、著書『リンダリンダラバーソール』で感想を記している。
「商売優先のメジャーから離れ、沖縄で好きな歌だけ歌っていこうとした彼の人生選択が、現実と折り合いのつかない悲惨なものであったなら、久しぶりに会った彼が、疲れ切り、そこいらのローカルバンドマンほどのムーブしか見せてくれなかったなら、やはり体制の中でしか音楽はできぬものなのかと、がっかりしていただろう。
とんでもない。『魚ごっこ』の歌詞の通りに、どんとさんは誰にも文句を言わせない、いい塩梅の男、として、再び目の前に現れたのだ。
矛盾を抱えながらも、メジャーのフィールドの中で、なんとか折り合いをつけてやっていくしかない僕にとって、そのライブのどんとさんは、やっぱり水の中をスイスイと泳ぐ魚に見えたのであった」
しかし、普通の人の倍以上の速さで生きてきたどんとは、2000年1月28日に旅先のハワイで、脳内出血が原因で静かに永眠することになったのである。37歳だった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP