悪辣非道の生き方を変えた出来事とは

「振り返れば、乱暴をした女性たちには申し訳ないことをしたと思ってる」としながらも、女性をモノにように扱ってきた過去を持つのは事実。それなのに、なぜ今は悪質ホストクラブにハマった女性を支援するのか。

「単純に俺みたいなやつをもう二度と生み出したくない、弱い立場の女性や子ども、それに苦しまされている親御さんの助けになりたい、その一心だけです」

そもそも玄氏が2002年に公益社団法人「日本駆け込み寺」の前身NPO法人「日本ソーシャル・マイノリティ協会」を立ち上げたのにはこんなきっかけがあった。

建設会社の代表だった30代の玄氏。職安法違反である建設現場への労働者の派遣で荒稼ぎするも、当時、これらの行為の多くはヤクザの生業だったため、組との争いが絶えなかった。公益社団法人「日本駆け込み寺」設立前の2000年には不起訴処分ながら逮捕監禁致傷で逮捕されたこともある(玄氏提供)
建設会社の代表だった30代の玄氏。職安法違反である建設現場への労働者の派遣で荒稼ぎするも、当時、これらの行為の多くはヤクザの生業だったため、組との争いが絶えなかった。公益社団法人「日本駆け込み寺」設立前の2000年には不起訴処分ながら逮捕監禁致傷で逮捕されたこともある(玄氏提供)

「42歳のとき、献血で白血病ウィルス保菌者だとわかり、発症したら余命一年だと聞かされました。そのときにさんざん悪さをしてきた生き方を180度変えて、世のため人のために生きようと決めたんです。余命宣告されたような自分の、残りどれだけあるかわからない命で、その生きた証を残したかった。社会の表と裏を知り尽くした自分だからこそ、救える命もあるのではないかと」

現在の活動を「これまでの自分の贖罪、失敗から学ぶ救い方がある」と玄氏は言う。そして、何より人を救うことが天職だと感じるようになったとも。

「ここ(青母連)にくる相談者の話なら何時間も付き合えるし、こっちも自分をさらけ出せる。自分の子どもや孫とは2時間一緒にいるのが限界だし、両親やふたりの元嫁にも自分をさらけ出すことなんてできなかったのに。不思議なもんです」