『源氏物語』に描かれる「理想の嫉妬」
『源氏物語』が嫉妬への強いこだわりを持っているのは、有名な「雨夜の品定め」で、登場人物が「理想の嫉妬」ともいうべき論を展開していることからも分かります。
「雨夜の品定め」というのは、ある雨の夜、源氏とその親友で、葵の上の兄弟の頭中将らが宮中で宿直中、上品、中品、下品という仏教の極楽浄土のランクになぞらえ、女の階級を上・中・下の3段階に分けて論じたことからそう名づけられています。
この品定めで、人生の先輩格たる左馬頭が言うには、
「万事、なだらかに、恨みごとを言いたいところでは、私は知っていますよとほのめかし、恨んでいいような場合でも、憎らしくなくちらりと触れるようにすれば、それにつけても男の愛はまさるはず。多くは夫の浮気心も妻次第で収まりもするでしょう。あまりに寛大に、男を野放しにするのも気楽で可愛いようだけれど、自然と軽く扱っていい女に思えるんですよ」
男の浮気も女次第……とは、いかにも男に都合のいい理屈ですが、この「理想の嫉妬」を具現化したのが、紫の上です。
彼女は、源氏の愛する継母の藤壺と瓜二つということで、10歳のころ、拉致同然に源氏のもとに連れて来られ、14歳になると、その意に反して性交を強いられ、結婚させられます。しかし母方の親族はすでになく、強い正妻のもとで暮らす父とは疎遠であった紫の上にとって、源氏との結婚は幸運と言えるもので、周囲は彼女の〝御幸ひ〞(ご幸運)を称えていた(「賢木」巻)。
ところが、源氏が須磨で謹慎することになって、須磨にほど近い明石で、明石の君と関係し、子までできてしまう。
当然、紫の上としては面白からぬ気持ちになって、歌で当てこすったり、源氏の帰京後もすねてみたりする。
しかし、身分の低い明石の君の代わりに、その生んだ子を養育することになると、子ども好きな紫の上は、すっかり機嫌を直してしまいます。ただ、さすがに源氏が明石の君に会いに行く時などは、皮肉を言ったり、すねたりする。
たとえば、源氏が琴を弾くよう勧めても、明石の君が琴の名手だと聞いている紫の上は〝ねたきにや〞(妬ましいのか)、琴に手も触れない、という具合です(「澪標」巻)。
おっとりとして、可愛らしく柔軟性のある性格ながら、〝さすがに執念きところ〞(執念深いところ)があって恨んでいる様子であるのが、源氏の目には、
〝をかしう見どころあり〞
と、映る。面白くて相手のしがいがある、というんです。
要するに、このころの紫の上というのは、男に都合のいい女です。
ただ、紫の上は、相手が自分より格上の女である場合、こんなふうに可愛らしい嫉妬は見せません。
のちの話になりますが、源氏のもとに女三の宮という皇女が正妻として降嫁してくることになると、紫の上は、「当人たちの恋でもない、こんな降って湧いたようなことで、愚かしく落ち込んだ様を、世間の人に知られたくない」と考え、平静を装います。
こうなると、源氏にも「面白い」などと思う余裕はありません。
女三の宮が心身共に子どもっぽいこともあって、源氏は彼女に幻滅しながら、紫の上の信頼も失った形で、苦悩する。その上、女三の宮はのちに柏木に犯され、子まで生むことになって、源氏はえらいしっぺ返しを食らうことになります。
しかしそれはまだ先の話で、いずれにしても、紫の上は、相手の女が低い身分の場合は、ほど良い嫉妬で男の心をつなぎ止め、相手の女が高い身分の場合は、嫉妬の感情を抑えることで、事無きを得ます。その結果、紫の上の心はストレスを溜めて、胸の痛くなる病となって、最終的には死んでしまうのですけれど……。