コモンの「再生」と「共同管理」
この悪循環を断ち切るために求められているのが、冒頭で述べた〈コモン〉の再生であり、〈コモン〉の共同管理である。それは、簡単なことではない。しかし、〈コモン〉の共同管理をめざす場で、私たちは「自治」の力を磨いていくしかない。
そして、〈コモン〉のあり方を外部に開きつつ、平等な関係をつくることが重要なのである。なぜ、〈コモン〉が「開かれている」ことが大事なのかと言えば、外部の人たちに対しては攻撃的で、排他的な「自治」もあるからである。
たとえば、移民排斥を訴える右派ポピュリズム政党も「自治」の取り組みと言えるかもしれないが、それでは「自治」がファシズムを生み出すことになってしまう。
また、不平等な「自治」も存在する。たとえば、古い体育会系の考え方に凝り固まったスポーツ協会があれば、それは不平等な「自治」の典型である。その内部で年功序列や能力主義が蔓延していれば、それがパワハラやセクハラの温床になるわけだ。
さらに、その団体の外部にある〈コモン〉を壊すことも、自分たちの組織の利益のためなら「良し」とされ、内側から異議を唱える声も圧殺されることになる。
つまり、「自治」であれば何でもいいというわけではない。より「良い」自治を考えるために、〈コモン〉という考えが欠かせないのである。
〈コモン〉とは、単に「自治」をするだけでなく、それを民主的で、平等な形で運営することをめざすものだ。必要なのは、〈コモン〉の再生に依拠した「自治」の実践なのだ。
『コモンの「自治」論』のために集まった七人の執筆者たちはこの困難な時代を認識したうえで、「自治」の力を日本社会で取り戻すためのヒントを提示しようとしている。〈コモン〉を耕し、それを管理する方法を模索するなかで、私たちの「自治」の力を鍛えていく。それこそが「人新世」の複合危機を乗り越える唯一の方法なのだ。
その試みの始まりは、小規模でもいい。それが大きくなっていけば、社会を変える力になるはずだ。『人新世の「資本論」』でも述べたように、ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェスによれば、3.5%の人々が立ち上がることで社会は変わる。その第一歩を、私たちは今こそ決意して、踏み出すべきである。
文/斎藤幸平 写真/shutterstock