氷の上では「みんな見てよ!」って

彼女はいろんなジャンルの曲を滑ってきた。映画音楽『マトリックス』のダイナミックさや疾走感は代名詞の一つだが、それだけではない。雲のようになんでもなりかわれる自由さがあるのだ。

「『この子はきれいめの曲』『スローな曲がよく似合う』ってあるやないですか? そういうんやなくて、自分はいろんなジャンルでやってきて。自分で言うのもあれなんですけど、これもできる、この曲もって偏らず、いろんな曲で滑れる感じはあるかもしれません」

北京五輪で使ったショート、フリーの曲は社会性が強く、最初、習得するのに苦労していた。特にフリー『No More Fight Left In Me/Tris』は「女性の闘争、自由、解放」を訴えるもので、難しいテーマだった。

「まとめて言うと"大人の女性"を表現することになるんですが。でも、自分がなりきれていないところがあって、それをどう表現するのか。このプログラムのなかで、早く見つけないといけないと思うんですけど、どうやろ、んー、わからない、難しいです」

2021年10月の近畿選手権後の時点で、坂本はまだ迷いを口にしていた。しかし腹をくくった彼女は、試合ごとに精度を上げていった。他の選手より、試合数を増やした。連戦ができる体力は、坂本の武器だ。

もう一つ、坂本には同じチームに三原舞依という同志がいた。

「舞依ちゃんとは、ノービスから一緒に戦ってきて。こんなに身近に(同じ中野園子コーチの指導を受ける)ずっといるライバルはいない。舞依ちゃんのおかげで、ここまで成長することができました。舞依ちゃんの安定感は、自分に欠けているもので。もっと安定した演技をしないと負けてしまう。舞依ちゃんが復帰したことで、負けたくない、という気持ちがまた芽生えてきました」

2020年11月、西日本選手権で、坂本はそう心中を明かしていた。

そして迎えた北京五輪では、あらゆる流れが彼女に味方したのだろう。勝利は必然に近かった。SPが79.84点、フリーが153.29点、どちらも自己ベストを記録。五輪という緊張する舞台で縮こまることなく、むしろ輝きを増していた。

そのメダルは、坂本の面目躍如だったと言えるかもしれない。

余勢を駆って、2022年3月の世界選手権でも女王になっている。自己ベストを更新する236.09点という目もくらむようなスコアで、2位に大差をつけてのショート、フリー完全制覇だった。日々積み上げてきた”健全なスケーティング”で、世界中を魅了した。

――表現する、ということに緊張はしないのか?
 
そう訊ねた時、坂本はこう答えていた。

「緊張はするし、昔は恥ずかしくて。幼稚園の時、ダンスをやっていたんですけど、正面から見られるのが嫌でやめたんです。意味わからないですよね(笑)。ダンスは、それで辞めるくらい恥ずかしかったんですけど。氷の上では、なんて言うんかな。練習できっちりできるようになって、いざ試合に臨むことができていたら、『みんな見てよ!』って感じにはなりました」

氷上の表現者の真価である。

写真/AFLO

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