バッターかピッチャーか、悩んでいた大谷翔平

日本のプロ野球でも、アメリカのメジャーリーグでも、「MVP(最優秀選手)」に輝き、ピッチャーとバッターの二刀流で活躍し、「世界で1番野球が上手い」といえる大谷翔平選手。※4 彼が、高校球児のときに母校・花巻東高校の恩師から受けた言葉に、「先入観は可能を不可能にする」があります。

高校時代の目標の1つは、球速160キロの球を投げることでした。その目標は、「非現実的」「無理でしょ」といった先入観があったら、絶対に辿り着けないものでした。そうではなく、「できる」とイメージすることで初めて、そのための計画やトレーニングなど、目標達成に向けた行動を起こすことができるようになりました。

実際、大谷選手は岩手大会・準決勝で、当時の高校生最速となる160キロを投げることができました。

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そんな大谷選手も、自分の先入観で、心が揺らぐことがありました。高校からプロ野球へ進む際、日本球界かメジャーリーグか、そしてピッチャーに専念するか、バッターに専念するかを迷いました。

高校日本代表の合宿でのインタビューでは、「一度、ピッチャーをあきらめてしまうと、二度と後戻りはできない」「現段階では、ピッチャーの体作りをしているが、ピッチャーとして挑戦するか、バッターとして挑戦するかは、球団の意向を参考にして考えたい」と答え、どちらかに専念することを前提に考えていました。

その後、高校日本代表として世界選手権を戦うことで、ピッチャーに専念する方に気持ちを固めていきました。松坂大輔選手や田澤純一選手といった、メジャーで活躍するピッチャーの姿を見て、自分もその場所に立ちたい、と語り、ピッチャーとしてのアメリカ挑戦を表明しました。

しかし、その直後、日本の球団・日本ハムファイターズが大谷選手をドラフト会議で強行指名することになります。ここで、日本ハムは、強行指名を謝罪したうえで、「夢への道しるべ」と題して作ったレポートを大谷選手へ提案しました。そのレポートで、将来、メジャーで活躍するために、まず日本球界を選んで、それからメジャーへ渡った方が効果的であることを説明すると共に、ピッチャーとバッターを両立させる「二刀流」の育成プランを示したのです。

それまで、大谷選手は「二刀流」をあきらめていました。その先入観をくつがえし、当時の日本ハムの栗山英樹監督から「誰も歩いたことのない道を歩いてほしい」と言われたことで、日本球界入りを決断したのです。

それ以降、日本でも、アメリカでも、OB・批評家・野球ファンなどから「不可能だ」「ありえない」「なめている」とどんなに言われても、圧倒的な結果を示すことで、すべての人を納得させ、魅了していったことは、誰もがリアルタイムで見てきた通りです。