高校日本代表、福澤氏はノミの心臓だった?

――福澤さんは高校日本代表にも選ばれ、大学時代は日本代表候補にも選出されていますよね。

福澤 そのプレッシャーもキツかったんです。高校日本代表なのに、この程度かと思われるのがイヤでイヤで……。身体は大きかったけど、へなちょこでノミの心臓なのは誰よりも自分が知っていますから。いつも、なんで自分はラグビーをやっているんだろうって思ってました。

でも、同じようにツラい練習をしているのに、試合に出られない連中も大勢いる。ぼくは3年生から本格的に試合に出場しはじめたのですが、試合に出るからにはがんばらなければ、という気持ちになれたのは、同じように苦しい練習を耐えてきた仲間がいたからです。

「気を抜いたら慶應に本当に殺されるぞ!」OBが明かす“絶対に負けられない”ラグビー早慶戦今昔秘話〈TBS佐々木社長×『VIVANT』福澤監督〉_6

佐々木 ぼくも苦しい練習に耐えられた根っこには、試合に出られない仲間と、慶應というライバルの存在が大きかった。ぼくは3年生までリザーブで「早慶戦」に出場できなかったんです。そんなぼくが絶対に「早慶戦」に出たいと思ったのが3年生のとき。

雪のなかでの試合で16対16の引き分けに終わった。控えメンバーとしてベンチで試合を見つめていたのですが、涙が流れて止まらなかった。最後の「早慶戦」には、絶対に勝ちたいと思いました。翌年、最初で最後の「早慶戦」に出場しましたが、とにかく緊張したのを覚えています。「負けられない」という恐怖心との戦いでした。福澤さんにとって「早慶戦」はどうでしたか。

福澤 試合前、ロッカールームで早稲田の選手たちが部歌の「北風」を歌っているのが聞こえてくるんですよ。早稲田の選手たちが涙を流しながら歌う声が聞こえてくると、こっちも感極まって涙があふれてきて。今思えば異様な雰囲気ですよね。

もうひとつ忘れられないのが、国立競技場のピッチに出た瞬間の光景です。もう観客が多すぎて空が見えなかった。思えば、あの光景が大学でラグビーを続けるきっかけだったのかもしれないです。高校3年生のときに国立競技場で開催された「早明戦」を見たんですが、当時は消防法が今よりも緩かったから、定員の6万2000人を大幅に超えた入場者数だったと思います。おそらく7万人は超えていたんじゃないかな。

佐々木 そうそう。あの頃は500円の学生切符を無限に配っていたから、立ち見のお客さんも大勢いて。今は消防法が厳しいから、もうあの記録を抜けないでしょうね。

福澤 ぼくはこれまでの人生で、あれだけの観客が入ったイベントは見たことがないです。あの光景に感動しました。実は、ぼくは高校でラグビーをやめて、大学では映画監督を目指して勉強するつもりだったんです。でも、高校時代に「早慶戦」や「早明戦」を見て気持ちが動いたんです……そのせいで、大変な思いをするわけですが(苦笑)。