装うのが面倒くさくなったのではなく
毎年、夏の名残の陽射しにひんやり冷たい風が混じり始めると、あの狭いエレベーターにこもっていた生温い空気と、せわしなく動く白い手袋を思い出す。あれから五年ばかりが過ぎ、最近はようやく、通帳残高を眺めても心が千々に乱れるといったことがなくなった。
そうなるまで途切れずに仕事を頂けたのはありがたい限りだし、我ながらけっこう頑張ったほうじゃないかと思う。いや、よくぞここまで頑張った、と褒めてやっていいと思う。
いまも手もとに残る貴金属のうち、換金できる類いのものは数えるほどしかない。あのぎりぎりの瀬戸際でさえどうしても手放せなかった時計が三つと、それに指環とネックレスが一つずつ。それぞれ、作家になって初めての本の印税で買ったものだったり、特別な旅の思い出と結びついていたり、とある節目の記念に贈られたものだったり、大切なひとから受け継いだものだったり……。
それ以外に新しい指環や時計を手に入れたいと、全然思わなくなった。女性誌に素敵な広告が載っていても、昔のようには物欲が発動しない。
けれどそれは、装うのが〈面倒くさい〉からではないのだ。自分を底上げしてくれる持ちものを吟味し、そのつどアップデートしてゆくのも大人の女の醍醐味ではあろうけれども、縁あって手もとに留まったものをひたすら大切に慈しむことも、人生を深く味わう術のひとつなのじゃないか。
今ではそんなふうに思うようになった。
文/村山由佳 写真/shutterstock













