幻の全英チャート1位…新聞メディアがピストルズを「社会の敵」として扱う
マクラーレンは6月の女王陛下即位25周年記念日までに、セカンド・シングル『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を発売したがっていたが、新しいレコード会社はなかなか現れなかった。ブランソンは以前のこともあったので敢えて連絡はしなかった。
そこで「ビジネスマンになったヒッピー」と馬鹿にしていた相手に、マクラーレンはとうとう自ら歩み寄ることになった。交渉のテーブルは逆転。こうしてヴァージンは世間を騒がせるバンドと契約した。
やり手のマクラーレンは、EMIやA&Mのようにヴァージンも手を焼くことを期待した。そうすればまた巨額の違約金が手に入る。
一方、ブランソンはショックも腹も立てなかった。1977年5月にリリースされた過激な歌詞の『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』は当然の如く放送禁止となったが、チャートを駆け上がったのだ。
さらに女王陛下即位25周年記念当日。英国議会の議事堂でもあるウェストミンスター宮殿が面するテムズ川を上る観光船クイーン・エリザベス号の中で、ピストルズは同曲をゲリラ演奏して警察沙汰に。関係者11名が逮捕された。
発売禁止になりかねない出来事だったにも関わらず、この事件はレコードを売るための完璧なPRとなった。
ところが、20万枚を売り上げて全英チャート1位は確実視されるも、トップに立ったのはロッド・スチュワート。問題を重視した英国レコード協会(BPI)とイギリス市場調査局(BMRB)によって操作されたのでないかという説もある。
ピストルズに対する手痛い仕返しはこれだけではなかった。
多くの新聞メディアがピストルズを「社会の敵」として扱い、「パンクを懲らしめろ」という見出しが紙面を飾った。バンドのメンバーが右翼の男たちに襲われる事件もあった。
しかし、こんなことで終わるわけがない。“ヴァージン”と“セックス”・ピストルズ。これはもう運命的な組み合わせだったのだ。