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日本人の味覚を追求してできた「和風ハンバーグ」

──デニーズは今年で50周年を迎えます。あらためて、半世紀以上にわたって多くのお客様から愛されている理由についてお聞かせください。

1974年にデニーズ1号店を東京・上大岡に出店した当時は、アメリカのデニーズを丸ごと持ってきたような感じで、いわば本場のアメリカンダイナーの世界観をそのまま日本で再現したものでした。

「デニーズ」日本1号店の上大岡店。(SINCE1973は、テナントの入るイトーヨーカ堂がアメリカの「デニーズ社」と技術援助契約を締結した年) 写真/@BUBBLE_B
「デニーズ」日本1号店の上大岡店。(SINCE1973は、テナントの入るイトーヨーカ堂がアメリカの「デニーズ社」と技術援助契約を締結した年) 写真/@BUBBLE_B
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しかし、そのころは“外食”というものが当たり前ではなかったので、日本のお客様に受け入れられるためには、日本人に合う味覚を追求しなければならない。

そう我々の先人たちは考え、少しずつ日本人の食の嗜好や食習慣に合わせたメニュー開発に乗り出していきました。

株式会社セブン&アイ・フードシステムズ代表取締役社長の小松雅美氏
株式会社セブン&アイ・フードシステムズ代表取締役社長の小松雅美氏

――具体的にどんなメニューを作られたのでしょうか。

今でも人気メニューのひとつである「和風ハンバーグ」を1977年にメニューへ加えました。一説には、日本で初めて和風ハンバーグを提供したのがデニーズといわれるくらい、その当時としては画期的なメニューでした。

デニーズの初代「和風ハンバーグ」
デニーズの初代「和風ハンバーグ」

また、1986年には「チャイナタウンヌードル」というシリーズで、五目うま煮ラーメン風のメニューを出したり、お客様に支持される商品や味の工夫など、いろんなチャレンジをしてきました。

当時のメニューにあった「チャイナヌードル」
当時のメニューにあった「チャイナヌードル」

卵料理を提供するモーニングメニューを始めたのも、デニーズが先駆けとなっています。そこから、朝専用のメニューがあるなら、昼も夜も作ろうということで、グランドメニュー以外にランチやディナータイムのメニューも追加していきました。

1990年代には、ナタデココやパンナコッタ、ティラミスといった今では定番のデザートをいち早く取り扱い、スイーツメニューの充実も図りました。

このようにデニーズは、フロンティア精神を持ち、果敢に新しいことに取り組む“挑戦の歴史”を歩んできたと言えるでしょう。飽くなき挑戦が、差別化につながっていると考えています。

現在、外食業界の市場は24兆円規模にまで拡大していますが、デニーズが誕生した1974年は3兆円規模でした。まだまだ小さかった外食市場を、先見の明を持った先人たちが「日本の外食文化を盛り上げていこう」という思いのもと、さまざまな創意工夫を繰り返し、今のファミリーレストランの礎を築いてきたのです。