競艇選手を目指してプロボクサーに

高校でボクシングをやめるつもりだったが、大学もスポーツ推薦で声がかかり、関西大学のボクシング部に入部する。

あいかわらずボクシングにはまったく興味を持つことができない一方で、将来の夢が別にあった。従兄弟が競艇選手をしていたことで、自分も体が小さくて適性があると思ったこと、高収入であること、選手生命が長いことなど、話を聞いているうちに目指してみたいと思った。

「高校と大学時代に一度ずつボートレーサー養成所の試験に落ちたんですよ。大学2年のときに受験したときは、『受かったら大学辞めたろ』って思てたんですけど、不合格になって。

かといってスポーツ推薦なんで、ボクシング部辞めたら大学も辞めなあかんかったし。せっかく大学に入ったし、もったいないんで卒業までとりあえず続けて、それからまた競艇選手の道を目指そうと」

キャンパスライフはボクシング漬けだった。単位は「周りの人に支えてもらいながら」なんとか取得した。「こいつら好きなもん食えてええなあ」と他の学生を見てうらやましく思うこともあった。

「単なる部活ですから」と言いつつ、彼の端倪すべからざるところは、どんどん成果をあげていくところだ。在学時は3度の関西リーグ優勝に貢献し、大学4年のときに出場した国体でも団体の部で優勝。井上尚弥のプロ転向後、同階級で五輪代表候補と目されていた柏崎刀翔選手には及ばなかったが、世界選手権の日本代表選考会や全日本選手権でアマチュアボクシング界のトップを争う存在となっていた。

大学4年生、全日本選手権準優勝のとき。右が拳四朗、左が父の永さん(写真提供:B.M.Bボクシングジム)
大学4年生、全日本選手権準優勝のとき。右が拳四朗、左が父の永さん(写真提供:B.M.Bボクシングジム)

「でも、まだ競艇選手になる夢はあきらめてなかったですから。就活はいっさいやってません。ボクシングの日本ランカー5位以内になったら、競艇学校の推薦がもらえるんですよ。だから大学卒業後はとりあえずプロボクサーになってランカーになって、それから競艇選手になろうと」

プロとして初めてリングに上がったのは2014年。夢の競艇選手への道が始まった。

#2へつづく

#2 【“泥酔事件”について初めて語る】王者・寺地拳四朗に笑顔とダブルピースをさせなくなったあの日。「あの失敗は自分の人生経験としては大きな出来事でした」

取材・文/田中雅大 撮影/青木章(fort)