デフレを引き起こした最大の原因

程度の差はあるが、成長鈍化は先進国の共通課題ではある。にもかかわらず、なぜ日本だけが長期デフレに落ち込んでしまったのか。

《日本銀行が止められなかった負の連鎖》なぜ日本だけが長期デフレに落ち込んでしまったのか。バブル経済を放置した80年代の経済政策がそもそもの誤り_1
すべての画像を見る

日本の消費者物価指数(生鮮食品除く総合、CPI)は1998年に0.3%に急低下し、99年にはマイナス0.1%に転落する。2000年はマイナス0.3%となり、01年にはマイナス0.9%、02年は同0.8%と物価が持続的に下がっていくデフレが本格化する。物価の基調的な下落は12年まで続き、戦後、主要国でこれほど長いデフレに陥った国はない。

マクロ経済全体でみれば、デフレは需要と供給のバランスが崩れることによって起きるとされる。モノをつくる能力があるのに、買い手がいなければ値段を下げて売らざるをえない。この「需給ギャップ」が物価を決める基本要素となるが、日本の長期デフレの構造はそれ以上にかなり複雑だ。

デフレを引き起こした最大の原因は1990年代前半のバブル崩壊とされる。バブル経済によってモノやサービスを提供する「供給能力」が膨れ上がり、そのバブルが崩壊すると需要が失われて需給ギャップが大きくマイナスになる。GDP統計などから算出する需給ギャップをみると、91年1~3月期にはプラス4.9%だったが、93年にはマイナスに転落し、94年にはマイナス1.7%まで落ち込んでいく。

ただ、物価面でみると、バブル崩壊の91年からデフレが始まる98年まで、7年ものタイムラグがある。なぜか。

その間、91年から日銀は利下げに転じて金融緩和を断行し、先述したように金融機関も貸し出しを増やし続けたからだ。緩和的な金融環境がデフレ転落をギリギリ防ぎ、需給ギャップも一時的にプラス圏に戻っていく。ところが歴史的にみれば、これが失敗の一つとなる。先述したように金融緩和で後押ししたものが、不振企業への追い貸しにすぎなかったからだ。

97年から98年にかけて山一証券や北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行といった大手金融機関が経営破綻すると、銀行システムに追い貸しの余力はなくなった。資金が得られなくなった企業部門は、いよいよ投資を絞って借金返済を優先するようになる。